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 もうかなり前から、理想のバーチャル書店を夢見てきたが、ネット技術の実態が次第にわかってくるにしたがい、結局
 @バーチャル書店でも在庫は持たなくてはいけないこと、
 A送料などの価格競争のサービスでは大手には対抗できないこと、
 B単品検索情報による購入ではほとんど差別化は難しいことなどが見えてきた。
 しかも、物理的空間の制約を受けないはずのネット書店といっても、ディスプレー表示範囲の制約、クリック、ジャン
プ、スクロール等の移動スピードなど、実際のペーパー情報や見渡すことができる店舗の情報に比べて決して圧倒的
優位なものがあるわけでもないようだ。

 便利さや機能の充実、豊富な情報を追求した大手サイト以外に、面白い情報を提供してくれる専門サイトをずっと探
しているが、まだあまりみつからない。

 ほとんどの書店サイトが、表紙と店舗紹介、全国似たりよったりのベストやフェアの紹介しか行っていない。建築、コミ
ック、児童、ミステリーなどの分野でかろうじて専門性のある面白いサイトがみられるが、本来有象無象の本の海(森で
もいいい)で様々な分野のクサーイ括り方が、もう少しあって良さそうなものだが。

 古本屋のサイトだけは、何かありそうなワクワク感がありますね。


 なかなか面白い書店のサイトがないということは、まだ、ホームページ作成の技術的ハードルが一見高いように見え
ていることもあるが、実際は面白いリアル店舗がないという現実の反映でもあると思う。

 よく「金太郎アメの本屋」、新刊洪水のなかで倉庫業化する書店(トコロテン状態の本屋)、本の知識のある従業員よ
りも、在庫・物流管理の能力のある従業員の方が必要な書店(本当は両方の能力が絶対必要)なんて揶揄される時代
になっているが、在庫の量の拡大でしか競争しあえない悲しい現実がまだまだ進行している。はたしてそれでいいのだ
ろうか。

 もちろん、規模の競争は避けて通れない大事な構成要素に違いないが、現在の日本の書店の現状でそらおそろしい
のは、東京のような大都市から地方の中小都市の書店に至るまで、売り場面積と駐車場の規模の差以外の比較の座
標軸をまったく持っていないことである。

 世界中の商品市場のなかで本ほどアイテムが多く、内容を含めれば、代替の利かないことにおいても突出して、文字
通り「星の数ほど」ある商品が「海のよう」とも「森のよう」ともいえる、「混沌とした渦」をなしているジャンルは、他にまっ
たく例をみないであろう。さらに、その商品群は、この世に存在する、認識しうる全ての「現実」に対応しており、もっとす
ごいことに、イメージしうる限りの「夢」にも対応しているのである。

 こんな驚異の世界に埋もれていながら、ほとんどの書店が未だに「文芸」「ビジネス」「児童」「実用」などといった似た
り寄ったりの構成比率での物流管理区分しか使っていない。書店バブルで、探す本がひとつの店に無ければすぐ隣の
店にいける環境なのに、隣の店の弱い分野を思いきって広げよう(または削ろう)としない。なぜ従来の区分や表示をく
ずせない!変えられない!  

 誰が「本」を殺しているのか!


 新しい区分で商品を見せることより、従来の区分を維持して他店と比較し続けられることの方が大事だとでもいうのだ
ろうか。変えてしまうとお客さんを混乱させる心配があるというほど、お客さんにとって不可侵のサイン表示なのだろう
か。

 かつての「今泉棚」や往来堂書店さんのように書店の棚は編集するものといった考えの様々な店がもっとたくさん出て
こなければおかしい。(そういえば今泉さん、新天地で頑張っているのだろうか。店を拝見する限りでは、まだ力を発揮
されているようには見えませんが、是非これから頑張っていただきたいものです。)
 業界で様々な貴重な発言をしてくれる人もたくさんいるが、それらの人の携わっている店を実際に見に行くと、がっか
りさせられることが多い。

 誰が「本」を殺しているのか!


 そんなこといっても、どこも不景気で経費も人手もなかなかかけられない現実が…、
 なんて返事がすぐ返ってくるが、全国平均で前年比割れなどという現実が続いていながら、自分の職場が無くなるま
で、みんなただ待っているつもりなのだろうか。
 もちろん、そんなつもりは誰もないというだろう。

 ならば、なぜ、もっと棚をいじらないのか、
 商品にさわらないのか、
 POPをつくらないのか、
 面白いフェアを企画しないのか。
 売上が前年割れしていても、社長や店長が経費や労働時間などをを気にして、働いていないのが理解できない。

 あなたの職場が無くなろうとしているのに。

 誰が「本」を殺しているのか!


 「売上が落ちてしまって新刊・売れ筋の入荷なし」などという業界紙の見出しを見ると腹がたってくる。
 売り上げの低い店が売上を上げる努力をどう考えているのだろうか。
 新刊の配本がもっとあれば、などど考えているのは、「もっとお金と時間さえあったらなんでもできるのに…」などと考
えているに等しい。

 誰が「本」を殺しているのか!



 ブックオフのような新古書業界が問題だなどとしきりに騒がれている。
 何が問題だというのだろうか。
 ブックオフを悪者扱いする前に、中古市場の著作権対策をもっと急がなければならないのは、こちらの業界側の責任
ではないのか。万引き対策しかり。

 私はブックオフのヘビーユーザー(CMで使われている清水国明なんかには比較にならないほどの利用者に違いない
のに)を自称している。時間があれば他県のブックオフまで足を伸ばすことも多い。
 書店人のような薄給でも、ブックオフのおかげで湯水のごとく本が手に入るようになった。(でもスリップの入ったまま
の新刊本なんか見るとモー頭にくるけどね)
 3〜5店もブックオフをハシゴすると100円コーナーだけで1日に30や50冊の興味ある本が手に入る。通常の本2
冊分のお金でで30〜50冊!これだけ抱え込むと自然に読書量も増える。
 おかげで店の企画のアイデアも増えてくる。
 自分の店で仕入れる本を他店で買って読んでから仕入れるなんてバカなことも、たびたび。  

 本を読まずに本屋がつとまるか!
     …最近は十分つとまるらしい。またそれが正しい経営方法でもありうる。

 誰が「本」を殺しているのか!



 笑うに笑えない話であるが、地方では比較的大きな書店であるが、最近少し棚がつまらなくなってきたので、新聞の
書評などはあまり参考にはしていないのかと聞いてみたら、「ちゃんとバイトにチェックさせている」とのこと。
 有力書店の文芸書担当者や店長自身が新聞書評を読まない(読む時間がない?)。
 市場サイドから見たら決して新聞書評が優れているというわけではないが、最も大衆的な書評媒体であることには間
違いあるまい(書店の立場からは東京新聞の書評が一番面白いと思う。上毛新聞の文化欄は最近とても良くなったよ
うな気がする)。
 どんなに売上が良かろうが、新刊が豊富に入ろうが、そのような担当者の管理する棚がお客にどんな情報を提供で
きるのだろうか。
 やはり、現代の書店はお客の入れる倉庫管理業務が一番の仕事になってしまっているのだろう。

 誰が「本」を殺しているのか!



 児童書などの分野だけは、それほどバカ売れする分野でもないが比較的多くの専門店が全国にある。しかも一般の
書店に比べるとけっこう面白い店も多い。
 決して儲かっているとも思えないが。なにが違うんだろうと考えると、答えはひとつ。店においてる本を読んでいる
らだと思う。

 自分が読んで惚れた本を売っている(おいている)店は「この(これらの)本を一人でも多くの人に読んでもらいたい。
買ってもらいたい」が営業の動機になっている。
 したがって、書店に様々な期待をもってやってくる、本の内容についてまで話し掛けてくるお客さんは、いわば同志とし
て、たとえ面倒でも喜んで接することができる。

 それに対して、自分のところで扱っている商品をデータ上(第一ステップとしては必要)でしか見ていない本屋(担当
者)にとって、お客さんは常に「さばく」対象でしかない。
 これも、またすぐ反論が返ってくる。
 おまえの店はヒマだから、そういうことを言ってられるんだと。

 残念ながらそのとおりです。
 
 しかし、当店のような面白く楽しく仕事ができる店を選ばず、「さばく」ことだけに追われる職場を選んでいるのはあな
た自身が選択していることでなないですか。
 また、その従業員がそこで働いている時間は、その人自身の時間ではなく、会社に働かせられている時間でしかな
い。給料は自分が我慢して働かせられたことに対する代償かのような気持ちで受け取っている。
 こうした職場では必然的に、ドングリの背比べの人間同士がオレの方がこんなに苦労しているのに、頑張っているは
ずなのにといった、待遇の不公平感ばかりが噴出してくる。
 また、これを会社が直そうとすると、よりいっそう、分厚いマニュアルと教育が必要になってくる。
 会社にとっても、その個人にとっても、掛替えの無い時間の大変な損失である。
 
 しかし、自分の店の商品を好きになること(読まなくても扱っている商品の装丁や重量感だけでも愛着は出るが)、本
を読んだあとのその本の持っている感動的な価値を知るということは、本を楽しんで読めない人に対してはどうすること
もできない。

 つくづく感じるが、本屋が扱っている商品の価値というのは、自分で買って読んでみるまではほとんど未知の世界であ
る。音楽CDなどもそういう意味では同じような性格があるが、その未知のスケールの幅はやはり、CDの比べ物になら
ないものがある。
 だからこそなおさらである。

 本屋はタイトルと見かけだけではわからない有象無象の本を選りすぐり、読者により感動の機会を増やしてあげるの
が最大の努力すべきサービスの内容なのではないか。
 加えておくが、決してお店のすべての本を読むことを要求されているわけではない!
 昨日読んだ本の感動をひとつ持っているだけでよいのである。
 残念ながら、
 何十冊、何百冊読んでも、
 1ケ月前、1年前の感動は役に立たないのが現実。

 誰が「本」を殺しているのか!
 

 こんな話もあった。
 「店を良くするようにいろいろやりたいんだけど私には権限がないんです。」
 うーん、気持ちはわかるけど、バカをいうんじゃないよ!

 どんな職場でも言えることだが、いったいあなたは誰に頼まれて生きているんだ!
 あなたの体のどこか一部に、
 または、あなたの心のどこか一部に、
 あなたのあなたの権限の及ばない、
 誰かからお借りしている領域でもあるのですか。
 ほとんどの人間は、自分がどうするか、全権自分で握っているのではないのですか?

 「いや、私のことでなくて会社の…」
 会社のせいだと勘違いしているだけじゃないの。

 もちろん、社長や会社側の責任もある。
 でも常に選択の権限と意志をもってのぞんでいるのは「あなた」でしょ。
 
 イヤなら辞める権限。
 自分でわからなければ、調べる、
 人にに聞く、
 手が足りなければ応援を呼ぶ権限。
 みんなあなたが今もっているのではないのですか。

 あなたが思いどうりになっていない問題について、何回、上司や社長に訴えてみたのか、
 会議に問題を整理してレジュメを出したのか、
 1回や2回で皆がすぐ納得するような問題ならはじめから大した問題ではないのではないか。

 どんなに問題があろうが、辞めずにそこにいるということは、
 「私はここでまだ頑張ります」
 という意志表示をしているのではないのですか。

 個人と会社、あるいは個人対個人の関係は、私は50:50の関係ではないと思っている。
 常に100:100の関係だと思う。
 半分はオレ、半分は向こう、というのではない。
自分が出来ることはすべてやることで初めて相手からの相応の返事が返ってくるもの。
「今」しかない時間を、一人しかいない自分を、ひとつのことをやるために、どんな相手であれ半分受け持ったらあとは
そっち、などというのは手抜き以外のなにものでもなく、絶対に良い結果など生まれるはずない。
 絶対に権限の問題ではない。
 自分の持っている「力」と「権限」を使おうとしないだけのこと。
 常に自分のおかれている状況に対して、
 その人は「全権」もっているのである。



 「でも、どうやったらいいかよくわかんないんです。」

 バカをいうな!
 あなたが今立っているところはナニ屋だ!

 お客さんに何か聞かれたとき、その本はここにあります。店に在庫はありませんがこういう本があります、と調べるの
があなたの本職ではないのですか。
 営業、顧客管理、在庫管理、マーケティングから、POPの書き方まで「売るほどある」ってのはおたくの職場のことでは
ないのか。

 それともすでに本も読めない、友人や上司にも相談できないほど深刻な状態になってしまっているのですか。
 ならば早く病院へ行きなさい。

 誰が「本」を殺しているのか!(少なくとも上記のような病人ではない)



 個人の権限のことでいえば、もうひとつ余談を。
 最近出た白洲次郎「プリンシプルのない日本」(ワイアンドエフ)のなかにでていた、白洲次郎が東北電力の会
長を勤めていたころのはなしである。
 「浅虫温泉を早朝出発して自動車で青森に向う。この道は殆ど並行している鉄道線路を二、三度横切るが、踏み切り
はひとつもない。案内にきてくれた会社の人の話によると、何年何十年か前に青森県の土木課長をしていた人が、当
時あった一つの踏切りで汽車と衝突し同行者は死亡し、彼のみ、やっと命びろいした事件があったそうだ。命びろいし
たこの課長さんは内務省其の他の要路を説得して遂に全踏切りの廃止に成功したとか、」(上記書43ページ)
 こういう例をだすとまた、昔と今とでは、組織の実情が違う、などという返事が返ってくる。
 なにが違うというのだ。昔の土木課長だから簡単にできたとでも思うのだろうか。
 
 日本中が長引く不況で、前年割れがあたりまえかのような空気がある。右肩あがりの時代は終わった。
 しかし、大きな勘違いをしていないだろうか。

 多くの書店の「あなた」の抱えている問題は、トヨタや松下、ソニーの社長が悩んでいる問題とは違う。
 日本中が不況といっても、太平洋の水を全部沸かすことをあなたに求められているわけではない。
 せいぜい数万から数十万の商圏のなかの数百から数千の1日来店客の話で、
 しかもそのなかの変動数は2割とみても数十から数百。
 現実には数十人のお客の店への意識を変化させることがなにかできればよいのである。
 しかもその切り込み口は、店舗のディスプレイでも変わったフェアでも接客サービスでも、コミックのマニアックな仕掛
けでも、児童書のお遊びコーナーでもなんでもよいのである。

 売上の3%上がったの、5%下がったのの解釈ではなく、どれだけこれらの具体的手立てを打っているかの問題なの
に、不況の解釈や業界の後進性、取次ぎの問題、立地、競合の条件が悪くなった話(これらみな確かに大事な問題で
あるが)ばかりしているのではないか。
 数千人規模のあなたのまわりの市場だけに変化をもたらせられればよいのに。
 大企業の経営と異なり、書店の場合はかなりの部分が、一点突破、部分的戦略で一定の成果を出すことができると
思う。

 さらにうれしいことに、ほとんどの競合店はより手をかけないことばかり考えている時代だ。

 誰が「本」を殺しているのか!



 デフレと目まぐるしい I T をはじめとする技術進歩のおかげで、現代においては個人のできることがかなり拡大して
きたと思う。
 特に、このようなホームページで表現することは、なんとコピーよりも安い!

 当サイトは無料のプロバイダを使用していること、写真をデジカメにしたことなどで、データの作成、更新、維持までほ
とんど無料といってよい。
 あと必要なのは自分自身のオツムの整理能力と技術的な知識だけ。

 あとここの「テーマ館」で紹介しているような地域通貨が発展してくれば、元手の問題も大きく解決してくる。まさにすべ
て必要なものは揃っている時代だ!

 こんなに恵まれた時代なのに、空から燦燦と降り注ぐ太陽の日差しを、目を細めて大路を避けるような歩き方をなぜ
する、と言いたい。
 プラスのエネルギーをなぜ全身に浴びようとしない。

 私は、「やっとオレの時代がやってきた」と思っている。

 あとは、神に祈るのみ。
 「どうか神様、このお店のことだけは私にお任せ下さい!運命をもてあそぶようなイタズラはせず、そちらでじっと見守
っていて下さい!」

 この表現には、驕りがあるかなと心配していたら、お客さんから借りた本にまたすばらしいことが書いてあった。
 「石垣島で織をする女性が私たちは今もあの踊りと同じ気持ちで仕事をしていますという。そして、織物の中に必ず一
ヶ所、魂の抜け道を残しておくのです、という。すべてを自分がしている仕事ではない。神様にゆだねる部分を魂の抜け
道としてのこしておくというのだ。」
                            志村ふくみ「語りかける花」人文書院より
                    
 まったく恐れ入りました。


 さて、話をもどす。
(どこへ?)

バーチャル書店、リアル書店のメリット、デメリットでした。



    少しこのページが長くなりすぎたので、ここからは、別の欄に切り換えます。
    感情にまかせて一気に書いた文章なので、いささか品位に欠ける表現もあり、
    何度か書き直そうかと迷ったページですが、
    「刺激的で、元気が出る」との感想をいただくこともあり、評価は分かれるところですが、    このサイト開設時
の気概がよく表れているので、そのままにしてあります。
    このページがあるばかりに、
    このサイトの品位を著しく下げてしまっているような危惧もあるのですが。


   願わくば

 

  濁る世を澄めともよはず我がなりに
                 すまして見する谷川の水
                                    良寛

     

    と、わが身をあらためたいものです。



ほぼ月に一度、店にリュックを背負って毎回1万円くらいの本を買いに来てくれる90歳を過ぎたおじいさんがいます。いつもいろいろな言葉を書いた
カードや紙を置いていってくれるのですが、
最近いただいものでこれは特に気に入った言葉です。




    私が書店という仕事を通じて本を考えているので、書店人の当事者責任と職業意識を    問う内容になって
いますが、佐野眞一著『誰が「本」を殺すのか』に連動していうならば、    出版社、取次ぎ、図書館それぞれの当事
者意識と職業意識の欠落をこの小文を通じて    問うものです。    



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