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かみつけの国 本のテーマ館
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               伊香保万葉東歌の世界

子持の眠り姫
(2006/11開設  2007/01/23更新)



正林堂のスタッフが最初に教えてくれたのですが、
赤城山西麓から子持山越しに小野子山の裾野をみると、
女性が仰向けに横たわっているような形に見えます。
向かって右の方から額、鼻、あご、胸の膨らみと・・・・、わかります?
南へ見る場所を移すにしたがって、その凹凸が大きくなっていきます。
もしかして、次の万葉歌もこんな情景から生まれているのでは?



子持山 若かへるでの 黄葉つまで

       寝もと我は思う 汝は何どか思ふ


児毛知夜麻 和可加敝流弖能 毛美都麻弖 宿毛等和波毛布 汝波安杼可毛布
                                      (巻14-3494)

子持山の楓の若葉が紅葉するまで、
私はこうしてお前と寝ていたいと思うのだけれど
                  お前はどう思う?             (大意)




子持神社境内にある万葉歌碑

私の手作り栞についてのブログ記述

理想のしおりを求めて  伊香保万葉歌の栞
子持の万葉東歌しおり  手作り栞のバラエティー
手作り栞の作り方


 ある日、店によく見えられる学校の先生が、内山 節の本はありますか、と声をかけてこられたことがあり、そのこと
だけで一気に話がもりあがったのですが、やがて伊香保万葉歌の話にうつっていくうちに、店の従業員が赤城方面か
ら見る小野子山の裾野が、美しい女性の姿に見えるというはなしになりました。
 そしたら先生は、そのことは、今まで自分のまわりの限られた人から聞いたことがなかったのにと、とても驚かれて、
その見るスポットがどこがいいかなど時のたつのを忘れて話に花がさきました。

 その女性の寝た美しい姿は、小野子山の裾野で、子持山ではありませんが、その見える場所が旧子持村一帯が中
心であることから、「子持の眠り姫」といった命名がよいのではないかということになりました。
 そういえば、場所を変えるとその美しい女性のお腹がふくらんで見えるようになるのだと先生は教えてくれました。
 では、そこからは「孕んだ眠り姫」?



見る位置が子持総合運場、子持神社の方に近づいていくと、
お腹がだんだんふくらんでくる。「孕んだ眠り姫」。
このように見えるのは、子持神社の松並木参道周辺のみです。

 もしかして、子持村の地名の起源そのものが、この山の姿に由来していたのでは?
『神道集』のストーリーそのものが、この山にあらわれているようにも思えるのです。

  

 わたしは、かつてこの地にはじめてきたとき、子持山、小野子山、吾妻(あがつま)川と、なんて万葉の香りにあふれ
たところなのだろうと思ったものです。

 そんな思いで子持神社に万葉歌碑の写真を撮りに来たとき、わたしは運良く子持神社の宮司さんにお会いしていろ
いろお話を聞くことができました。
  そこで、『神道集』のほかに子持神社に関する研究書がでていることを教えてもらいました。


『伝承文学資料集成 5 神道縁起物語 1』
榎本千賀 編著  
三弥井書店(2002/10) 定価 本体8,800円+税
子持神社蔵の『子持神社紀』『地主巻』『子持山大神紀』『児持山縁起』『縁起書』
『上野国児持山縁起事』『子持山釈宮紀』『児持山宮紀』『子持大明神御神徳略紀』
木暮清一氏蔵 『我妻郡七社縁起』 ほか収録

高い本であるばかりか品切れのため、まだ入手できていません。


 宮司さんは、これからこの地の歴史を「社報」で広めていくことを考えていると聞きましたが、『神道集』など群馬の歴
史を語るうえでは欠かせない文献などを、これからもっとわかりやすくみなさんに伝えられるように、このホームページ
でも内容を深めていきたいと思います。




子持神社


    






『神道集』 第三十四 上野国児持山之事 より

  日本国四十代天武天皇の御代に、伊勢国渡会郡から荒人神として出現し、  
上野国群馬郡白井に保(保は律令制下の郷里の単位で、庶民開墾の私田の地)
 に神となって現れたのが児持大明神である。

 その由来は、

 伊勢の阿津野の地頭に阿野権守保明という長者がいた。保明は子の一人もい 
ないのを悲しんで、伊勢大神宮に祈願した結果、児守明神に祈願するとよいという
指示があった。そこで児守明神に参籠祈願すると、七日の満願の暁、御宝殿の内
から二十二、三に見える女性が現われ鏡をくれる夢を見た。
 帰国後間もなく阿野保明の奥方は懐妊、やがて持統天皇の七年の三月中ごろ
無事安産、取りあげてみると鏡のように曇りのない美しい姫君で、父母共に大喜
び、児守明神から授かったので児持御前と名付けた。

   
                  近藤義雄・大島史郎 共著 『北群馬 渋川史帖』
                                みやま文庫(1999/06)

神道集は、群馬の歴史を語るうえで欠かせない重要な本なのですが、
残念ながら入手しやすくわかりやすい本がありません。
ここでは、上記みやま文庫から引用させていただきました。


子持神社への参道の松並木は、県下では赤城神社の参道に劣らず
有数の美しい歩道散策が楽しめるスポットです。


参道のはじまる旧子持村の中郷地区あたりからは普通の「眠り姫」が見えますが、
参道を子持神社に向かって登っていくにしたがって「眠り姫」のお腹がふくらんでくる。

子宝、安産の神社へ至る参道を登るにしたがって、
向かいの山の女性のお腹がふくらんでくる。

どう考えても出来すぎたはなしではないでしょうか。

これはもしかしたら、大(再)発見なのかもしれない!

この参道周辺からしか、この膨らんだおなかは見れないのです

はじめは面白半分で「孕んだ眠り姫」なんて言ってましたが、
万葉の時代のひとびとが、このことを意識していなかったとは思えません。


     映画の撮影で使えるような車道わきの歩道





                   




この鳥居までくると「眠り姫」を見る位置は限界。






見る場所が南へ行きすぎると、胸の位置が上に来すぎてしまう。
写真は子持のベイシア駐車場より



どうか、このことを知った皆さん、
それから昔から知ってはいたけど特別意識してはいなかったという皆さん。

これから、子持山や子持神社の話題を話す機会があったら、

「子持の眠り姫」って知ってる?

と、まわりの人たちに声をかけてみてください。

やたら予算をつかった村おこしや町づくりよりもはるかに、
わたしたちのこころの奥深くにロマンをかき立てる
すばらしい郷土が育つもとになるのではないでしょうか。








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