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第一テーマ館 田舎で「美しく」暮らす
(2011/12/06更新) ![]()
東歌は万葉集の巻十四の一巻に収められており、大伴家持が編纂したと考えられています。
東歌の238首はすべて短歌定型で、同時に全首が作者不明。これは万葉集の全歌数のほぼ半数が作者不詳であ
ることから、「歌」がまだ口承性の強い時代の反映と考えられるし、また非個性的な歌謡・民謡であるからとも考えられ る。
国が銘記された歌は95首で、そのなかで最も多いのが上野国の26首、以下、相模16首、常陸12首、武蔵1
0首である。 上野国が際立っていることがわかる。
また、上野国26首のうち、18首が利根川以西の地名を持ち、その中で9首は伊香保の地名を含む歌であ
る。
吉永哲郎著『万葉を哲学する』上毛新聞社より
これを知ったら、渋川の本屋として力を入れないわけにはいかない。
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この上野国の東歌が群をぬいて多いことについて、土屋文明はが次のような説を出しています。
それは上野国の文化がそれだけ開けていたことかもしれないが、東歌の採集をしたのが、上野の国守であった大原今城であったことによるとこ
ろが大きいのではないかと。
今城は真人という姓が示すように準皇族で、大伴氏の縁戚と思われ、家持と親交があってしきりに歌をとりかわし、古歌の伝誦者、採録者として
の能力があったことが、巻二十の巻末の歌の配列によってわかるそうです。
だが今城が上野に赴任していたのは天平宝字7年から8年までの1年半であり、この在任中に東歌を採集したとすれば、万葉集最後の歌の天
平宝字3年よりそれは4,5年後ということになって年次があわない。しかし東歌が最終編集でいまのような形に整えられたのは、おそらく奈良朝末 の宝亀2年(771)以後であろうともいわれるから、その点では矛盾しないと土屋氏はいっている。 ![]() ![]()
この上野国に万葉歌が多いことは、なにも群馬県人に限らず万葉集研究をしている多くの人びとから関心をもたれて
きたことでもあります。
1993年まで群馬大学教授をされていた高橋和夫氏は、その理由を以下のような可能性があるとまとめています。
(1)、上野国がこうした詠歌の盛んな国であった。
(2)、上野国が他国に比べて相対的に人口が多かった。
(3)、上野国歌の蒐集担当者がこの方面に熱心な人であった。
(4)、蒐集または保存の過程で偶然に多数保存された。
(5)、編集者の主観的な判断によって秀作と思われるものが多かった。
(6)、全くの偶然である。
高橋和夫 著 『古典に歌われた風土』 三省堂(1992/11)より
高橋氏は、このうち(1)と(3)が反証できない現実的可能性のあるものとして論じています。
群馬県では道路工事などがあると、いたるところで昔の遺跡が出てきます。その頻度から想像すると、古代とはい
え、相当な人口がこの地に密集していたのではないかと思えてなりません。
上野国の人口は当時約13万人。
全国人口約600万人、東国やく100万人とみられています。
群馬にある古墳の数は約1万2千。奈良県の約2倍を越える数であるといいます。
おそらく、想像以上に当時の毛野国は、東国地域のなかでも文化の中心としての勢力をもって栄えていたのだろうと
思えます。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]()
今は榛名山と呼ばれてる「伊香保」の地名は、万葉集の記録からはじまりますが、地名の由来は、‘いかめしい峰(ほ)’‘湯川(ゆかわ)の転
訛。アイヌ語の‘イカ・ボップ’(山越えのたぎり立つ湯)。雷(いかずち)のイカで‘雷の山’‘いかずちの峰’から、などの諸説があります。
現在、伊香保を詠んだ万葉歌碑は伊香保温泉中心にありますが、このような万葉時代の伊香保の意味からも、歌で詠まれている地域は、榛名
山の見える広域が対象になっているといえるので、もっと広い地域でこの歴史遺産を守り育てたいものです。
また渡来人とのかかわりからみる視点や蝦夷征伐の拠点としても、興味がつきないものがあります。
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とはいいながらも、すべて万葉仮名は当て字を解釈したものであるために、意味不明であったり、素人には理解でき
ないことがあまりにもたくさんあります。
これに、わかりやすい解釈がくわえられたら、もっと地元に定着した馴染みの文化財産になると思います。
そうした意味で須藤雅美さんの『上野万葉地名の考察』は、どんな入門書の解説よりもわかりやすく、意味不明の
言葉を誤魔化すことなく、説得力ある推理を交えて解説してくれています。 ![]()
以下に最もわかりやすいと思い、真っ先に正林堂のしおりにした歌の須藤さんの解釈(原文6頁)を転載紹介させて
いただきます。
十三、伊香保の里に国造りが始まる
(1) 原文と従来の読み・解釈
(2) 漢字語源による解釈
(語意) (連想する言葉)
伊 万事を調和する人物 良いものを大切に守り
可 できる 一族の長となる 万事を調和することの
保 大切なものを守る 人物が現われる 出来る人物
可 よいと思う みとめる 良い方針を定め
是 良いとして定めた方針 それに従って行なう
布 ふれ
久 いつまでも変わらない いつまでも変わることのない
日 身近にねっとりとなごんで 太陽のような暖かさを
暖かさを与える意 太陽 人々に与えるお布令
布 広くゆきわたる
加 ますます 貧しい人々にも
奴 激しい力仕事をする 貧しい人々 その暖かさは広くゆきわたる
日 暖かさ
安 落ち着き定まる 満足する 人々も満足して落ち着き
里 さと 良い里になってきた
登 成就する
伊 ただ これ ただ それに
倍 そむく 反する 背くものが出てきた
? そぐ 先端を細くする
安 どうして どうして
我 がんこ 迷いに執着する心 過去のあやまちに
古 古い 昔の 頑固に固執するのだろうか
非 欠点 あやまち
能 ききめ 効果 まだ私の希望どおりの
未 まだ・・・しない 効果がない
思
等 ととのえる ひとしい 働きに応じて皆平等に
伎 才能 はたらき 暮らせるように村を整え
奈 祭に供物として供える
からなし 神に供物を供え
可 よいところ 一族の人々がますます
里 さと 繁栄し良い里になるよう
家 一族 祈ろう
利 勢い 順調な 幸い
(大意) この一族にも立派な長となる人物が現われた。良い施政方針を立て、貧しかった村にも次第に光がさしは じめた。けれど昔のこ
とにいつまでもこだわって反発するひとがいたりして思うようにいかないが、何とか良い 里にしようと神に祈り、頑張っている。
(語意) (連想する言葉)
伊 この この里が
可 良いと思う 良い伝統 良いものを守り
保 保ち続ける 保ち続けてきたことは
可 みとめる よい 誰もが認める
是 まっすぐ進むことを示す正しい
正しい
布 織物の総称 昔から
久 古くからの 留める 毎日機織を
日 毎日 とき 機織りをする女性 つづけてきた
布 広くゆきわたる
加 盛んになる ますます どんなに暑い日でも
奴 手で労働する女の奴隷 女は一生懸命働いた
激しい仕事をする意 それが村中に広まり
日 太陽 日差し ますます盛んになる
安 甘んじる
里 さと 献上品 献上品を出せるほどの
登 奉る 里になった
伊 これ この ただ これから
倍 ますます ますます機織りに
? 機織りの道具 努力を重ね
安 心配ない
我 迷いに執着する自分の心 昔の欠点は
古 昔の事柄 迷わずに直していく
非 欠点 わるい
能 才能 うまくできる 必ずしも
未 まだ・・・しない 自分の思いどおりの
思 望む 願う 意志 腕前とはいかないが
等 同じ物をそろえて順序を整える 全てが一級品ぞろいと
等級 いわれるように
伎 うでまえ 才能
奈 ぜひとも ぜひとも
可 良い この里の繁栄のために
里 さと 頑張ろう
家 一族
利 幸いな 順調な
(大意) 昔ながらの伝統を守り、機織りの里として女達は一生懸命働いて来た。時にあれこれ迷いながらも献上品を出せるほどの品を作り、ま
すます自分たちの住む村の為に頑張っている。
(3) 古語による私の読み・解釈
こひ 請い 求める 神仏に祈り願う
のみ ・・・だけ ・・・ばかり
し 強意
(大意) 伊香保には、山から吹きおろす冷たい風が吹いたり、また、おだやかな日があったりするけれど、私の願 い求めるものだけに
時はない。 いつでも順調な時であってほしい。
〔考察〕 伊香保の地にようやく国造りが始まった頃のものと思われる。機織りを主体とした生活で、女性が頑張っ ていた様子が伺え
る。
伊香保風は、王朝風や京風という、その土地ならではの精神的な気風をも表現している。
こうした極端な解釈のものを私のような素人が安易に取り上げると、よくお叱りをうけることがありますが、少なくとも、
これまでの常識的な解釈が、それほど確固たる確証に基づいているものでもないことだけはわかるのではないでしょう か。 ![]()
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