サイトの全体構造  本乃枝折(検索リンク) 群馬県・郷土出版案内・リンク集  管理人のブログ  Hoshino Parsons Project


かみつけの国 本のテーマ館  
 第二テーマ館 群馬の山と渓谷                     (2007/05開設)
(準備中)

木を植えた男たち







木を植えた男(絵本)  木を植えた男(小説) 木を植えた男
木を植えた男を読む 木を植えた男―英和対照で読む



苗木三〇〇〇万本 いのちの森を生む

地域で人びとが豊かに暮らす前提として「木を植えよう」
    豊かな自然 → 本物の森(自然)つくりからはじめる
    20年後の未来の姿を自分の手に入れる活動

森から学ぼう
   人間は森の寄生虫 生態系の一員
   森の消滅と文明の興亡
   森と共生してきた日本人の歴史
   鎮守の森と日本文化 (潜在自然植生と照葉樹林文化)
   里山の森(雑木林)
   森は災害を防ぐ
   環境保全と森


 
魂の森を行け―3000万本の木を植えた男

        
    緑回復の処方箋―世界の植生からみた日本      木を植えよ!

  


 ドングリを集めてポット苗をつくろう

  (1) 親木をみてドングリを集める  
     シイ、カシ類などのドングリは9月下旬から11月に落ちる。
     常緑のシラカシ、アラカシ、ウラジロカシなどのドングリと、落葉広葉樹のクヌギ、コナラ、
  アベマキなどのドングリとの区別は最初つきにくいので、事前に親木の種類をよく確認して
  目印をつけておくとよい。
    上の親木の樹種をたしかめて、木の下の種子(ドングリ)を集める。

  (2)、中の虫などを水につけて殺す
      ドングリを拾うのは昆虫や野ネズミたちと競争である。
     落ちて数週間経ったものは、ほとんど虫に食われている。木についているときから虫が
  入っている場合もある。
      野生の植物は一般に早産性、多産性で、親木からの離脱が早い。
  落ち葉の間に落ちているドングリを一つひとつ拾うのは結構大変である。
      マーキングした親木の下にシートを敷いて枝をゆすってドングリを落としたり、神社やお寺
     の境内などではドングリを落ち葉などと一緒にホウキで掃き集めてバケツに入れて持ち帰
     ったりするとよい。
      拾ってきた後も虫と競争である。
      すぐに水に30時間以上浸ける。そうすると大部分の虫は窒息して死ぬ。

  (3)、捲種のしかた
       ドングリの捲種の仕方には大きくわけて二つの方法がある。
     ひとつはポットに直接まく方法、もうひとつは有機物を含む腐葉土と混ぜて、トロ箱などに入
     れ、15cm〜20cm耕してその上にまく方法である。
      その場合には1uに500粒くらいをバラまきする。深植えはしない。
      ドングリがやっと隠れるほどの土をかぶせる。
      その上に落ち葉や枯れ草、稲藁の切ったものをかぶせる。
      水はやりすぎない。

      生物社会では、少し足りないくらいが最も健全である。水やりも強すぎるとドングリが土か
     ら露出するので、霧雨のようにやさしく、落ち葉や切り藁の上から散水する。天気の良いと
     き三日から一週間に一回くらいの割で、ゆっくりと土にしみ込んでいくような水やりの仕方 
     が好ましい。落ち葉などのマルチング、すなわちおおいを少しはずしてみて、中が乾いてい
     るようだともう少し散水する。

 
いのちを守るドングリの森





  














 このテーマを準備しだしてから、宮脇方式を既に取り入れて実践されているところが地元にもたく
さんあることを知りました。さらには、木を植える空間として山を確保することが、片品村や渋川で出
来そうな話も相次ぎ、とてもうれしく思っています。
 しかし、ここで今「木を植える」ことの意義を考えたとき、もう少し説明が必要であることを感じまし
た。以下は、わたしのかかわった団体での討議資料として宮脇昭氏の考えを説明したレジメのコピ
ペです。



 私たちが普段、自然を取り戻すことや自然に親しみ楽しむことを話題にするとき、日本では、花い
っぱい運動的な緑化、外国の早く育つ木を植える緑化、単層群落の芝生などによる緑化、どれも同
じように考えられています。

 しかし、この「豊かな」自然にかこまれた群馬から発信する「木を植える」という活動は、そのような
ものとは一線を画するものであると考えます。
 それは、単なる緑、緑化から、命を守る、文化を守る、心のよりどころとしての多層群落の森や樹
木を回復、修復、再生するための緑環境の再生について本格的に考えようとするものです。


1、潜在自然植生のこと
  今、私たちが日常目にしている自然は、そのほとんどが長い人間社会の営みによって
  手を加えられ続けてきた自然で、その土地本来の姿とはかけ離れたものです。

   それに対して潜在自然植生とは、その土地、その環境で千年、二千年と長い歴史のなかを生
  き抜いてきた最もその土地にふさわしい植生のことです。それは度重なる台風や地震、火災に
  も耐え抜いてきた植生のことで、日本で一般的には照葉樹林文化という言葉に表されるような 
  常緑広葉樹、シイ、タブノキ、カシ類などの木のことです。

  これらの木は、スギやマツなどの本来やせた土地に生育する根が横に這うように伸びる樹種と
  は異なり、直根、深根が特徴で、大地に深く根を張り、大型台風などがきてもびくともしない大地
  をつくります。
   またその葉っぱは光沢のある厚い葉が特徴で、大火災などにあっても表面が赤く焦げる程度
  で決してマツやスギの木のように燃えてしまうことはありません。東京大空襲で焼夷弾の雨にさ
  らされてもその森は生き残り、酒田市の大火災の折にも、「タブノキ1本、消防車一台」と言われ
  るほどの力があることが証明されました。

2、場所を問わず、コストのかからない自然を再生すること

  「ホンモノの自然」を取り戻すということのもう一つの側面は、場所を選ばず、コストをかけず、誰
 でもできる、ということです。
  今私たちが求めている自然というのは、国立公園や自然公園を拡大することも大事ですが、そも
 そも人間という存在自体が大自然の寄生虫ほどの存在に過ぎないことを考えれば、美しい自然を
 博物館のようなもののなかに閉じ込めるような保存の仕方で残すことではなく(一部ではそれも緊
 急な課題ですが)、私たちの日常の身の回りの環境のなかに、圧倒的な量の本来の自然環境を
 取り戻すことが前提になっています。
  そのためには、私たちの日常生活空間のなかで、3mの幅の空き地でもあれば日本中どこでも
  「ホンモノの森」を再生することが可能であるような方法であることが大事です。

  潜在自然植生に基づいた森は、苗を育てるまでの3年程度の間だけは、赤ん坊を育てるように 
 人間の手をかけますが、それを過ぎたら、間伐や下草刈りなどの手間は一切かかりません。それ
 は、自らの力でバランスを保ちながら生きるホンモノの森であるからです。


3、ホンモノの自然再生とは、お飾り観光「自然」から脱却し、暮らしと地域をささえるホンモ
ノの自然を取り戻す運動であること。

  基本的には、多分人間社会もそうですが、その森のトップを占めている高木の種類によって、そ
 の森の姿、性格も変わります。高木の種類やあり方によって森のあり方が変わるということは、す
 なわち高木がその土地の潜在自然植生の許容する土地本来の森の主役になる樹種だからで  
 す。
  これは動物も含めた自然生態系として考えることがとても大事ですが、この生態系の頂点に位 
 置する生物が消えると、その土地の生態系バランス全体が壊れ、様々な問題が併発してきます。
 この生態系の頂点に位置する動植物を見極め、多様な植物群を混種、密植することで、相互が競
 い合い我慢し合い、豊かな自然がつくられます。それは決して潜在自然植生のタブノキだけの単
 一林をたくさん作れば良いといったようなものでもありません。

  自然でも人間でも、「病気になる」というのは、本来の自然状態から離れた環境にあることで加 
 速されるものです。
  この地で行われるグリーンツーリズム、自然体験学習などでも、個々の自然を見るだけではな
く、その地域に根ざした自然の生態系バランスの姿を通じて人間社会のあるべき姿も学びとるもの
でなければなりません。
 片品に、渋川に、「本物の自然」がベースになった地域社会のお手本を育てたいものです。





PHP研究所 (2007/05) 定価 本体1,400円+税)









   












私のブログ内の関連記述

之を語りて平地人を戦慄せしめよ
山の民の高速道路  大疾歩(おおのり)  草の者の道  
赤谷プロジェクト 日本人はどのように森をつくってきたのか
 告発だけの時代は終わった その土地固有種の強さ
社会生産の基礎単位としての「家族力」
好きなまちで仕事を創る 遠く感じる「自治」意識




トップへ
トップへ
戻る
戻る



inserted by FC2 system