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かみつけの国 本のテーマ館
第七テーマ館  今、戦争をどう語るか

戦争にみる「個人」と「組織」・書籍リスト
(2008/02/24更新)

 このページは、よく考えもせずなんて馬鹿でかいテーマをかかげてしまったのかと悔やむばかりで、長年、紹介する本も散漫に広がってしまうば
かりでしたが、戦後60年の節目にあたり、ようやく絞り込むべき内容が見えかけてきたような気がします。

 それは、戦史をたどったり、戦犯や靖国問題を問うことも重要なのですが、それらの問題にまでかかわることは、私ひとりにはとても手に余る作
業になってしまいます。
 私としては、このサイトのなかで、国や組織のなかの一員としてかかわるひとりの人間が、それぞれの歴史上の選択に直面したとき、それぞれ
個人の権限や能力、または環境などの制約を持ちながら、どう生きていくか、といったテーマに絞ることができたらと思います。

 組織であれ、個人であれ、長い時間と多くの人びとがかかわれば、間違い、誤りは避けられないものであると思います。しかし、その間違いや誤
りを最小に食い止めることのできるものと、そうすることができないものとの間には歴然とした差があるのも事実です。
 また避けられなかった誤りに対しては、他人のせいにすることなく、真摯に責任をきちんととるひとの姿には、誰しも胸打たれるものです。

 あるひとは戦争のような極限状況の例など、今日の生活とはかけ離れたことと思われるかもしれませんが、私は、過去の「そうすることしかでき
なかったそれぞれの人びとの姿」を見るにつけ、「情報の量」も「個人の自由」もはるかに豊かになった現代の私たちが、もし同じような状況に立た
されたら、はたして違う選択をどれだけすることができるだろうかという問いに、自信を持って答えることができません。

 私は「ひとは誰しも、オギャーと生まれたその瞬間から、生きていくために必要なものはずべて備わって生きている」と信じているものです。
 「わからなければひとに聞く」
 「力が足りなければ応援をよぶ」
 「間に合わなければもっと時間をかける」 ・・・等など。
 こう考えれば、すべての個人は、自分がどうするかにかんしては「全権」をもっている。
 だれ一人として、自分の頭のてっぺんから足のつま先まで、さらにはこころの隅々まで、誰かから借りてきているものがあるわけではありませ
ん。
 すべて、自分の意思で、本来自由に動かせるはずのものではなかったでしょうか。
 もちろん、すべてがそんな簡単なものではありませんが・・・

 戦争という歴史の極限の人間のすがたを知ることで、今の自分が、職場や地域、あるいは家庭で迫られる「選択」に対して、もっともっと、「自分」
や「私」を軸にしてみつめなおすことが求められているように思えてまりません。

 そんなことを考える手がかりを与えてくれる本を、これもまた納得のいくようなかたちになるまでは時間のかかることと思いますが、以下に取り上
げてみました。


きけわだつみのこえ
  日本戦没学生記念会 編
  岩波文庫(1995/12) 定価 本体748円+税
『きけわだつみのこえ 第二集』
岩波文庫(1988/11)
定価 本体760円+税
  
 
 タイトルのみは誰もが知る名著ですが、読んでいるひとも次第にすくなくなってきてしまっているようです。
 本書旧版序文として、編集顧問格の渡辺一夫がまた優れた「感想」を寄せていますが、そのなかで本書の編集方針を決める際、かなり過激な日本精神主義的な、ある時には戦争謳歌にも近いような若干の短文までをも、全部採録するのが「公正」であると主張したが、現下の社会情勢その他への影響を考慮して、そうした内容のものは削除した経緯が書かれています。
 このことは後になって「あとがき」などでもその是非がふれられていますが、戦後半世紀以上経た今こそ、削除された文章も含めて、「戦争」というものを冷静に見つめることが可能であり、同時に、戦争謳歌にはしった圧倒的多数の日本人の心理を単純な悪としてではなく、真正面から受け止められることが可能になったような気がします。
 戦時下、統制の厳しい軍隊、その多くはトイレの中などでこっそりと書いた文ですが、まさに十人十色の姿で、その理性を失うまいともがきながらも、抗しきれない現実をなんとか受け入れ自分自身を納得させようとしている心情、または心のうちだけは自分を維持しようと必至に戦っているすがたがいたるところに滲みでています。
 まさに様々な境遇の人間像を見ることができますが、どの境遇を見ても、自分だったらどうしただろうかと考えずにはいられません。

 もともと『きけわだつみのこえ』は下の本とともに3部作として出版されたものですが、残念ながら『はるかなる山河に  東大戦没学生の手記』東京大学出版会(1951/12)は絶版、入手できないままになっています。
 
 『はるかなる山河』はアメリカ合衆国の軍隊が占領軍として駐留していた1947年、東大生だけを対象として編集され、したがって戦没した東大生への哀悼の情が濃くにじみ出た遺稿集であるのは当然として、戦没学生が最後まで失わなかった人間性に光をあてようとしている。占領軍総司令部の検閲に制約され、印刷用紙の入手もままならぬころの出版であった。
 (『きけわだつみのこえ』あとがき 新版刊行にあたって わだつみ会より)

  このように『きけわだつみのこえ』は、その編集方針から、決して当時の多くの学生の姿とは言い難い面を持っていますが、だからといって、戦争というひとりの個人では「どうすることもできない」運命に直面したときに必至にもがき内面で闘う人間の姿を伝える本書の価値はなんら減ずるものではありません。

  歴史に翻弄されてきた本書の経緯は、保坂正康「『きけわだつみのこえ』の戦後史」(春文庫)に詳しく述べられています。
 

 さらに貴重な資料として、最近防衛庁の図書館から、検閲を知りながら兵士が軍を批判した資料が見つかり、『日本軍思想・検閲関係資料』として(現代史料出版)から刊行されます。
 「戦争は人道に反す」「面会不許可と称しながら将校は自由なり」「火焔砲の如き兵器の前には大和魂も何の役にもならぬ」「機械化部隊の威力は予想外にして日本軍の現状を以ては幾度戦争を繰り返すも敗戦だ」「今度の様な馬鹿な作戦はない、三年兵の優秀な兵を全部殺してしまった。是皆作戦首脳部の責任だ」などの表現が飛び交う。
 こうした実態が少なからずあったことからすれば、「きけわだつみのこえ」の選考内容のバランス問題も、本質議論ではないと思えてくる。

 もう一つ比較対照として欠かせない本として、『ドイツ戦没学生の手紙』(岩波新書)があります。日本に比べると、戦地での個人の自由ははるかに恵まれた環境であったようですが、学生像として比較した場合、日本の学生の方が戦時下にもかかわらず随分優れていたようにも見えます。
 



「戦争と知識人」を読む
  戦後日本思想の原点
     加藤周一 ・ 凡人会 著
     青木書店(1999/10) 定価1,900円+税
     おすすめ度★★★★★
 戦争に個人が、特に知識人がどのような意識で向き合ったか。
 声高に反戦を唱えて獄中に入った人びとではなく、戦争に盲従したといわれる多くの人々のなかにも、完全な言論統制下にあらながら、大本営発表を丁寧に見ていればその実態を感じ取ることができた人がいたし、それはある程度の健康な感性を持っていた知識人であれば可能であったと加藤周一氏は説く。高見順、中野好夫、堀辰雄、永井荷風、渡辺一夫、石川淳らの事例を通じて鋭い分析を見せてくれる。
 「すべての政府は嘘をつく」 (I・F・ストーン)
 「戦争とは嘘の体系である」 (カルル・クラウス)
「第二次大戦中の日本政府が嘘をつきまくり、国民をだましつづけたことは、われわれの記憶に新しい。戦争に反対するためには戦争に係る現実を知らなければならず、現実を知るためには嘘を見破らなければならず、嘘を見破るためには権力とその手先によって操作された情報の矛盾に注意し、その不整合性をあきらかにし、政府以外の情報源からの情報を利用し、一切の希望的観測を排除して、冷静に、客観的に、知り得た情報の全体を分析しなければならない。それはすぐれて知的な仕事であり、まさに知識人の任務である、といってもよいだろう。それは太平洋戦争中は困難な任務せあった(政府以外の情報源はきわめて限られていた)。しかし、不可能な仕事ではなかった。今日では可能であるばかりではなく、はるかに容易である。」
                                  (本文 280ページ)



私の「戦争論」
  吉本隆明
  ぶんか社(1999/09) 定価 本体1,600円+税
 『わだつみのこえ』の編集者の恣意的選択の問題に対してばかりでなく、吉本隆明は、戦時中と戦後の知識人に代表される変わり身の早さに対して、自分自身が軍国少年であったこともふまえて、いっそう厳しい見かたをしています。
 厳しいといっても、健全な常識や感覚からみればむしろ自然なことなのですが、今は、戦時中に有名な作家がどのような戦争賛美の作品を書いていたかを集めて本にしたほうがよっぽっど真の反省材料になるとの見かたをしめしています。
 そこまで誰も踏みこまないところに、知識人が「理性」や「良心」を語っていながら、現実に対して無力であり続ける真の原因があるようにみています。反対を叫んだり、獄中に入ったりしたといいながら現実に戦争の進行していく状況に対して何ができたのか。
 保守の立場からすれば、軍部の脅しのなかで精いっぱい努力したり、終戦交渉に努力した指導部の方がはるかに現実的な努力をしていたともいえる。
 常に自分の感覚と常識にたってものごとを考察する吉本隆明の視点は、もっと重視されてよいのではないでしょうか。

吉本隆明はアメリカの9.11テロ以後、さらに『超「戦争論」』上・下 アスキーコミュニケーションズ、『戦争と平和』文芸社(2004/08)のなかでもっと具体的に掘り下げています。
   



日本人の「戦争」   古典と死生の間で
  河原 宏 著
   築地書館(1995/04) 定価2600円+税
   おすすめ度★★★★
 戦地に散り行く兵士たちのこころは、最期になにを拠りどころとしていたのか。万葉集や古事記などの古典がどのような内面を形成していたのか。
 二・二六事件を境にした日本の選択。それは必ずしも軍部の独走だけではかたずけることのできない、「革命より戦争がまし」、「革命より敗戦がまし」といった歴史選択の必然があった。今日、私たちが歴史を振り返るとき、過去にはそれ以外の選択をすることができなかった歴史の事実と力関係をしっかり見極めなければならない。それを抜きにただ反戦平和をさけんでも、これから起こりうる様々な危機にたいしても、わたしたちはあまりにも無力に終わるばかりである。
 「現代もまた、歴史の中の一コマにすぎない。そうだとすれば、あの戦争について考えること、考えないことは、そのまま現代日本の実態について考えること、考えないこととつながっている」


飯塚浩二著『日本の軍隊』
岩波書店 同時代ライブラリー(1991/11)
定価 本体1,068円+税
岩波現代文庫(2003/08)
定価 本体1,200円+税
  
 陸軍、海軍双方の階級別のさまざまな軍人への実際の聞き取りをもとに、日本の軍隊の実態がどのようなものであったかをまとめた貴重な本です。意外に陸海双方から、しかも新兵のレベルから将校クラスまでを網羅した本はない。



失敗の本質  日本軍の組織論的研究
  戸部良一 寺本義也 鎌田伸一 杉之尾孝生 村井友秀 野中郁次郎
  ダイヤモンド社  定価 2,816円+税
  文庫版 中公文庫  定価 762円+税
    おすすめ度★★★★★

 日本の戦史の総括書としてばかりでなく、日本人論、組織論、など様々な角度から評価される本なので、古い本ながら未だにハードカバーの本が売れつづけているロングセラーの名著です。
 司馬遼太郎の『坂の上の雲』とともにこの本をベスト10に入れている人も多いです。
 

組織の不条理
 なぜ日本企業は日本陸軍の轍を踏みつづけるのか
菊澤研宗 著
ダイヤモンド社
定価 2800円+税
 



八甲田山から還ってきた男
 雪中行軍隊長・福島大尉の生涯
   高木 勉 著
   文芸春秋(1986/05) 品切れ (お店で閲覧できます)
   定価1,300円+税 文春文庫(1990/02) 品切れ
   おすすめ度★★★★★
 

 今も各国の戦史教室で学ばれている八甲田山の雪中行軍。200名の遭難死事故と同時期に福大尉率いる37名の隊は、同じ気象条件のもと一層困難なコースを踏破し全員生還を果たしている。成功した福島隊の業績はなぜ秘匿されてしまったのか。群馬出身の福島泰蔵は地理学のエキスパートとして軍の期待を背負い、迫り来るロシア戦に備え寒冷雪中行軍の軍隊活動の調査を委任される。
 同じ強風寒気のなかで苦闘する指揮官でありながら、片や「天は我を見放したか」と嘆き隊の指揮を諦め個人行動に任せる最終判断をせざるをえなかった山口大尉と、「吾人若シ天ニ効スル気力ナクンバ、天ハ必ズ吾人ヲ亡サン。諸子夫レ天ニ勝テヨ。」と訓示し、隊員に奮起を促した山口大尉、それは精神の差ばかりではなく、組織と責任、知識、技術、知恵、何れにおいても歴然とした差が存在していた。
 企画力・計画性・リーダーシップ・危機管理能力を学ぶ格好のノンフィクション



ながい旅
  大岡昇平 著
  新潮社(1982/05) 品切れ 定価1,200円
  新潮文庫(1986/07) 品切れ
  角川文庫(2007/12) 定価 本体590+税
   おすすめ度★★★★★
 B級戦犯として起訴された東海軍司令官、岡田資(たすく)中将は、自らの指揮下において、米軍の爆撃機B29搭乗員を処刑したことの罪を問われるが、それら搭乗員は国際法上の捕虜ではなく、日本の非戦闘員を意図的、計画的に無差別爆撃した戦争犯罪人であり、現場ではその判断の上で処刑をおこなったとし、当時裁かれる一方の日本側の立場のなかで、米側の戦争犯罪をひとり追及する戦いをはじる。なおかつ、米搭乗員を処刑した責任は指揮官たる自分にすべてあると、部下の生命を救うための戦いもおこない、スガモ・プリズンで信念を貫き通す。
 
長らく絶版品切れで入手出来ない本かと思っていましたが、2008年、「明日への遺言」と題して、小泉堯史監督、藤田まこと主演で映画化されることもあり、角川文庫で入手できるようになりました。うれしいかぎりです。

私のブログ:関連記述 明日への遺言・大岡昇平『ながい旅』  映画の生命力って?
              



責任  ラバウルの将軍今村均
 角田 房子 著
  新潮社(1984/05) 品切れ 定価1,500円
  新潮文庫(1987/07) 品切れ
  おすすめ度★★★★★
 歴史上の著名人ばかりを取り上げる歴史小説家よりも、この角田房子のような時代のキーパーソンをじっくり掘り下げてくれるような作家の注目度が低いのが残念です。

 まずは手抜きで、本書背表紙から今村均の略歴を抜粋させていただきます。
 明治19年、仙台に生れる。昭和13年陸軍中将となり、昭和17年11月、第八方面軍司令官としてラバウルに着任。悪化する戦況下にあって現地自活計画に着手。昭和18年、大将に昇進。昭和20年敗戦。翌年、自らの意志で戦犯収容所に入る。十年の禁固刑に服する途中、巣鴨刑務所へ送られたがマヌス島の部下たちと共に服役の希望を容れられ、昭和25年同地に渡る。昭和28年帰国、翌年の釈放後、庭の隅に建てた3畳の小屋に入り自己を幽閉。昭和43年、没。
 ラバウルの戦犯収容所で一度責任をとって自決をはかるが、豪軍将校は怒って「責任?何をいうか。戦争はもう一年前に終わったではないか。ジェネラル・イマムラはベストを尽くして、このラバウルを守りぬいた。可能性の限度を越えるほど立派に守った後に、自殺しなければならないどんな責任があるというのか。」という。現代の人々にはこの将校の言葉がどう聞こえるのだろうか。今村大将が自身の生涯を通じてでとった行動を、この本を通じて多くの人々にみてもらいたい。
 

 そして、更に角田房子の真骨頂ともいえる作品が『  妃(ミンビ)暗殺 朝鮮王朝末期の国母』(新潮社)です。
 
 この本のことは、家の叔父に教えてもらったのですが、この暗殺事件を抜きにして近代日朝関係史は語れないといえるほどの重要な事件の本です。日朝間においては、もちろん従軍慰安婦問題も重要ですが、両国の歴史的な関係を知るにはこの本に勝るものはないとも思えます。
 角田房子が、一部の人びとの反感をかう恐れを心配しながら、本書を書き上げるべきかまだ迷っていたときに、同行の大学生ルバイトから以下のように言われたことが、あとがきに載っています。
「以前の僕は、日本人はなぜ過去の罪を反省もせず、ケロリとしているのかと、腹を立てたものです。だが次第に、日本人は両国関係の歴史をほとんど知らないのだ、ということがわかってきました。ミンビ事件はそのいい例です。僕はときどき日本の観光団の通訳をしているので、ちょっとこの事件を話題にしてみるのですが、誰も知らないし、中には『日本の公使が指揮をとって他国の王妃を殺すなんて、そんなバカな話があるものか。つくり話をするな』と、怒った人さえいます。
 ぜひ、書いてください。」と

 いづれ、この1冊について専用ページを設けたいと思っています。

日下公人著
『組織に負けぬ人生 不敗の将軍・今村均大将に学ぶ』(PHP文庫)




赤紙 男たちはこうして戦場へ送られた
  小澤眞人 + NHK取材班
  創元社(1997/07) 定価2,200円+税
   おすすめ度★★★★★
 召集令状、通称「赤紙」。
 国家の命令が紙一枚によって国民に伝えられ、生命を左右した時代。今日においては、多くの人がその実物は見たことがない。ましてやその仕組みに至っては。なぜか「一銭五厘」というの郵便のイメージが定着してしまっているが、実際には赤紙は役場の兵事係や戸籍係などが、手渡しで配達していた。召集の基準は軍の側で極秘に管理されており、赤紙を届ける役場の担当係はなにも知らない。しかし、息子を戦場に取られる親からすると、「赤紙」を持ってきた役場の人間が息子を殺したと、しばしば非難されるつらい立場になる。
 在郷軍人制度というものが、赤紙のシステムを支える根本にあるが、戦争がエスカレートするにしたがい、日本の国力というものが、石油や鉄などの資源、あるいは技術力などを語るまえに、兵力そのものにおいて、徴兵=動員計画が早くから破綻していたことがわかる。
 通常、300万人の軍隊を作るには、軍需動員として倍の600万人の労働力が必要であると当時世界各国の共通した認識がある。それまで、日本において350万人が限度とされた動員能力が如何にして700万人の空前の大動員を達成できたか。
 かたや軍隊の倍の軍需動員に必要な人材として、赤紙召集を免れる(ほとんど当人はその理由をしらない)、通信、輸送、食料生産者や各種専門技術者などの人材リストがある。残りから必要人員の召集リストアップ作業となると、当然、在郷軍人のなかから、ひとりで2度目、3度目の召集をうける者もでてきて、3度目イコール戦争末期ということにもなり、いかに強運に戦火をくぐりぬけてきたツワモノでも、とうとう3度目に戦死してしまった例も少なくない。
 有名な学徒動員の映像も、実際には学生に代表される兵役免除の人間に対する国民の不公平感を払拭するためのデモンストレーションで、私も誤解していたが、あの東条首相の前で行進していた学徒がそのまま皆戦場へ行ったわけではなく、学生の徴兵免除がなくなり、一般人と同じく徴兵検査を受けるようになったということにすぎない。
 徴兵、それは戦争そのもので、そのシステムを作ったもの、システムに乗せられて翻弄されたもの、黙ってシステムにしたがって尊い命を喪っていったもの、それぞれに戦争のリアルな実態が浮かび上がってくる。




星野正紘 著 『赤紙ってなあーに』
とうほくぶっくす(1975/12)添付の赤紙
裏には「応召員心得」や本証と引き換えで乗(船)車券を受領できる旨、またその割引率などが記載されている



戦争と罪責
  野田正彰 著
  岩波書店(1998/08) 定価2,300円+税
    おすすめ度★★★★★
 著者の人間社会をみつめる視点は、今後評価が一層たかまっていくことと思います。
 本書は中国で残虐行為を行なった兵士の聞き取りから、加害者に加担していく人間の心理や敗戦後の罪の自覚の過程を分析する。他者から追求されて負う責任ではなく、加害者自身が自らの罪を自覚してこそ、被害者の心にとどくその後の責任の負い方があると説く。たとえそれが時間のかかるものであったとしても、罪や責任と向き合うことを避けていたのでは「感情麻痺」のまま、のちの世代にまで暗黙の負担と責任を残すことになる。


戦後責任論
  高橋哲哉 著
  講談社学術文庫(2005/04) 定価 本体960円+税

 直接的な当事者世代ではない戦後世代にとって戦争責任は存在するのか。すでに当事者世代は限りなく少なくなってしまった今日、その問いかけは逆に意味を増してきている。
戦後世代は、もちろん直接的な責任を負う当事者ではないかもしれないが、少なくとも「私たちと関係ない」といえる立場にはないことを著者は強調する。
「私は責任ということを、英語のresponsibility(レスポンシビリティ)という言葉、これが日本語の「責任」にほぼ対応するとされているわけですが、この言葉のもともとの意味、つまり「応答可能性」といくことから考えられないか、と思っています。」
他国から日本の戦争責任について問われた場合、その国民のひとりである戦後世代は、当事者世代であるかどうかにかかわりなく、その問いかけに「応答」する立場(責任)にある、と。

 



蚤と爆弾 旧題『細菌』 講談社(1970/11)
  吉村昭  
  文春文庫(1989/08) 定価330円+税
 

おすすめ度★★★★★
 吉村昭の文学スタイルの真骨頂があらわれているともいえる作品です。

 純粋に、多くの人を病魔から救いたいと願い、京都帝国大学医学部を出た曾根二郎。
 かれのすぐれた頭脳と努力は、防疫学の分野でたちまち頭角を現し、無菌濾水機の発明は、彼の名声を不動のものにした。やがて陸軍医になるが、東京帝国大学医学部出身の学閥優遇社会に対して、京都帝国大学出身の自分には中央の要職につく望みの無いことを知り、細菌兵器の開発・使用を陸軍中枢部に進言し、その道で無二の存在となってゆく。
 ひとりの人間が、閉ざされた自分の未来から抜け出る希望の光をみたとき、その技術が自分以外の誰も成しえないような成果をもって知られたとき、後に戦争の犯罪を裁くことは簡単なことですが、戦時下のそれぞれの判断の特殊性ばかりでなく、普段の私たちの日常でも「食べていくために」、倫理観、価値観を優先させられない例は、決して少なくありません。
 「文学」の仕事は、こうした分野でこそ、もっとされるべきでなないでしょうか。

 本書のもうひとつの伏線で興味深いのは、このテーマ館で幻の米国本土爆撃機の「富嶽」(参照ページ中島知久平をめぐる本)にふれてますが、この米国本土爆撃機構想が挫折した後、それに代わるものとして現われたのが「風船爆弾」。この風船爆弾による細菌兵器攻撃も曾根二郎の活躍によるもの。
 戦時下日本の馬鹿げた作戦としか思っていなかった「風船爆弾」が、大真面目な作戦であっただけでなく、米国本土への実際の効果も、日本人が予想していた以上の効果をあげていたことを本書で知りました。


補足 731部隊については、森村誠一の『悪魔の飽食』が有名で、なによりもおすすめですが、シェルダン・H・ハリス著『死の工場』(柏書房)は、さらに詳細な調査をもとに、貴重な写真も掲載された力作で是非一読おすすめ致します。

 

『731』
青木冨貴子
新潮社(2005/08)
定価 本体1,700円+税
 
 戦後、マッカーサーは731部隊のトップ石井四郎の行方を追求していた。戦犯として裁くためではなく、彼の「実験結果」が欲しくてである。事実、石井らが秘匿していた膨大な実験資料が取り引きの決め手となり、部隊のだれ一人として戦犯として訴追されないことになる。
 本書はこうした、満州において行われていたおぞましい実験に劣らぬ戦後の戦勝国相互や本来裁かれる側との取り引きや、醜い保身的な暗躍が取材された本です。




 さらにペスト菌の大量生産の手段として利用されたネズミが中国だけでは足りなくなり、日本国内でも飼育されるようになっていた事実を、その地元の高校生たちが追うすぐれたドキュメンタリー本があります。
 調査してみたら、生徒の家族も飼育者だった。「これは他人事ですむ歴史調査ではなく、自分たちの問題なのである。したがって本書は、研究報告であると同時に高校生の活動記録でもある。」
『高校生が追うネズミ村と731部隊』
 
教育資料出版会(1996/07)
定価 本体1,500円+税



遠い日の戦争
 吉村 昭 著
  新潮文庫(1984/07) 定価438円+税
    おすすめ度★★★★★
 敗戦後、軍人はA級戦犯、BC級戦犯などの運命をたどるが、十分な裁判などを受けないBC級戦犯ほどそれはしばしば、あやふやな証言、敗戦時にいた環境や地域、またはつかまった時期によって大きく左右される運命にあった。
 終戦の詔勅が下った昭和20年8月15日、福岡の西部軍司令部の防空情報主任・清原琢也は、米兵捕虜を処刑した。それは無差別空襲により家族を失った日本人すべての意志の代行であると彼には思えた。
 しかし、敗戦とともに連合国軍の軍事裁判を回避するために清原琢也は、長い逃亡生活の道を選ぶ。
 敗戦時の戦犯裁判の姿を知る作品としても一級の作品。

 また著者は、この主人公の目を通じて、同時期におきた九州大学医学部による捕虜の実検手術((一種の処刑)についてもふれています。

 

背中の勲章
吉村 昭
新潮社(1971/01) 品切れ
定価480円
新潮文庫(1982/05)
定価362円+税
おすすめ度★★★★★

 戦時中、敵艦哨戒のために鰹漁専門の漁船が徴用され、その漁師たちはそのまま軍属として乗り込んでいた。それは敵艦発見の無電を発信すると同時に敵に傍受され、そのまま全員戦死する運命にあった。
 このような特攻のような華々しさもない、突撃玉砕を使命として担っていた軍人、軍属の存在を私は本書を読むまで知りませんでした。
 ここではその哨戒任務の監視艇に信号長として乗り込んだ中村一水ら4名が生き残り、アメリカ捕虜となって背中に白ペンキで大きくPW(Prisoner of War)と書かれた服を着て、「生きて虜囚の辱しめを受くる勿れ」という『戦陣訓』を叩き込まれた軍人が、その運命をどう背負い生き抜いていったかがえがかれています。
 この主人公、中村一水は、大東亜戦争捕虜の第二号。第一号は真珠湾攻撃の特殊潜航艇で生き残った酒巻和男で、本人自身の手記を含め本もいくつか出ているそうです。
 この中村信号長を主人公にすることで、本書解説でも強調されていますが、太平洋戦争の歴史の流れが、実に見事に語られていきます。ハワイから、米本土収容所を転々と移って行くたびに、後からくる新しい捕虜の様子から戦況が少しずつ垣間見えてくる。
 戦争を語る「文学の力」が、みごとに著された1冊。


逃亡
吉村 昭 著
文春文庫(1978/04)
定価407円+税
おすすめ度★★★★★

 本書の冒頭で、この本のモデルとなった人物との出会いのいきさつが、緊張感に満ちた文章で描かれています。
 25年ものあいだ、妻にもまったく話さなかった過去。著者が現われることで、突然、その男の人生も変わる。著者は取材という立場であっても、深い闇の中に埋もれていることで保たれていた安静「男は、闇を信じていた。」)を破ってしまうことが、その男にとってどういう意味を持つことになるのか。
 それは、それぞれが過去の事実と向き合うことでしか答えは見えてこない。
 戦時中、若い18,9の兵隊が、大きな運命や周囲の「大人」たちの「計算」に翻弄されたり、小さな出会いや偶然、ささいな選択の誤りの積み重ねで、引き返すことの出来ない道に足を踏み入れてしまう。
 そして、戦後もそれを闇の底に自らをおくことでひきづり続けた。
 「多くの微細な人間が、回転する歯車にかみくだかれて飛散し、終戦によってそれがようやく停止した時そこにはおびただしい錫片屑のようなものが残された」
 



敗戦への傾斜  第一集 ・ 第二集
   群馬県人の戦争秘録
  あさを社 絶版 (1979/08) お店で閲覧できます
  第一集 定価2400円 第二集 定価  
 戦時下の群馬の人びとの様子がわかる貴重な資料。日常の生活のなかに深くかかわる戦争と、敗戦が近づくにしたがってひとびとの生活がどのように変わっていたか、つぶさにみることができる。
 こうした貴重な出版企画はもうされる機会もなかなかないかもしれない。
群馬県戦災誌
編集者代表 佐藤寅雄
みやま文庫110(1989/039



戦争の教え方  世界の教科書にみる
  別技篤彦 著
  新潮社(1983/12) 品切れ 定価980円
  朝日文庫 定価720円+税


日本・中国・韓国=共同編集
未来をひらく歴史 東アジア3国の近現代史
日中韓3国共通歴史教材委員会 編
高文研(2005/05)
定価 本体1,600円+税

 "開かれた歴史認識”の共有をめざす日中韓の研究者、教師らが、3年間・10回の国際会議を重ね、共同編集した先駆的労作!
 まだまだ研究、討議を重ねなければならない問題はたくさんありますが、3国が双方の立場で、加害者、被害者それぞれの対比で近現代史を語る手がかりをはじめて提起した意義は大きい
 

ナチスの子どもたち
お父さん戦争のとき何してたの
ペーター・ジィフロフスキー著
マサコ・シェーンエック訳
二期出版(1988/08)
定価1,500円

 類書はいくつかありますが、意外と戦争当事者世代は、戦時中の自分の体験を語っていない人が多い。
 自分にとっても、つらい思い出であるだけに、とくに聞かれない限りあえて家族に話すようなこともなかったのかもしれない。しかし、戦後半世紀以上たって、その貴重な体験と現在の内に秘められた思いを聞くことが、限りなく意味深いものになっている。同じ戦争でも、出征した方面や時期によって、それぞれまったく異なった体験となっている。
それらを聞き出し、個々の体験を総括したような戦史はまだ、出ていない。個々の体験を抜きに「あの戦争は」でかたづけることはできない。
 まず身内の対話、聞く勇気、話す勇気からはじめられなければならない。
 



敗北を抱きしめて 上・下
      第二次大戦後の日本人
ジョン・ダワー 著 三浦陽一・高杉忠明 訳
岩波書店(2002/03) 定価 各2,200円+税
おすすめ度★★★★★
 
「文明の裁き」を越えて
  対日戦犯裁判読解の試み
牛村 圭 著
中央公論新社(2000/12)
定価1,900円+税
おすすめ度★★★★

 竹山道雄の『ビルマの竪琴』の中に、次のような一節がある。
 私はよく思います。――いま新聞や雑誌をよむと、おどろくほかない。多くの人が他人をののしり
責めていばってます。「あいつが悪かったのだ。それでこんなことになったのだ」といってごうまんにえらがって、まるで勝った国のようです。ところが、こういうことをいっている人の多くは、戦争中はその態度があんまり立派ではありませんでした。それが今はそういうことをいって、それで人よりもぜいたくな暮らしなどをしています。 (本書128頁より)
 東京裁判に代表される対日戦犯裁判は、「文明の裁き」と旧連合国は称したが、裁く側ばかりでなく、裁かれる側の内部においても、「文明」の本質はなにかの問いかけはされることなく今日に至ってしまている。
 丸山眞男の錯誤、竹山道雄とレーリング判事の心の交流、“戦犯の慈父”今村均の囚人生活の考察などを通じて「西洋」「近代」への大きな問いを発する。
 



あの戦争は何だったのか
 大人のための歴史教科書
   保坂正康
   新潮新書(2005/07) 定価 本体720円
 私はテーマ館のこのページで選んだ本を通じて、いかなる結果であろうとも、あらゆる偶然的要素も含めて、そうすることしかできなかった歴史の事実を知ること、認めることが何よりも大事であること、それぞれの人間の姿をみることが、歴史を見るうえでなによりも必要なことであるとを強調したかったのですが、まさに我が意を得たりといった本が本書です。
 今改めて私は、太平洋戦争そのものは日本の国策を追うかぎり不可避なものだったと思い至っている。そしてあの三年八ヶ月は、当時の段階で文明論、あるりは歴史認識、戦争に対する考え方など、日本人の国民的性格がすべて凝縮している、最良の教科書なのだ。太平洋戦争を通じて、無限の教えを見出すことができるはずである。
 現在の大衆化した社会の中で、正確な歴史を検証しようと試みるのは難しいことかもしれない。歴史を歴史として提示しようとすればするほど、必ず「侵略の歴史を前提にしろ」とか「自虐史観で語るな」などといった声が湧き上がる。しかし戦争というのは、善いとか悪いとか単純な二元論だけで済まされる代物ではない。あの戦争にはどういう意味があったのか、何のために310万人もの日本人が死んだのか、きちんと見据えなければならない。
 歴史を歴史に返せば、まず単純に「人はどう生きたか」を確認しようじゃなかということに至る。そしてそれらを普遍化し、より緻密に見て問題の本質を見出すこと。その上で「あの戦争は何を意味して、どうして負けたのか、どういう構造の中でどういうことが起こったのか」−、本書の目的は、それらを明確にすることである。
     (本書 「はじめに」より)

 この教科書から学ぶ、次の答えは私や皆さんの足元につねにころがっている。
 

昭和戦後史の死角
保坂正康
朝日文庫(2005/02)
定価 本体620円
 

 2005年の新書ベストセラーにこのような本(「あの戦争は何だったのか」)が名をつらねたことはすばらしいことですが、2005年という年に限定せずとも、本書と高橋哲哉『靖国問題』ちくま新書がベストセラーとなり、多くのひとに読まれたことは、戦後の歴史書の出版史からみても、大きな意義のあることと思います。





                       文 ・ 星野 上


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