1930年生まれ。
東大法学部卒。
山崎豊子「沈まぬ太陽」の恩地元のモデルとなった人です。
日本航空に入社後10年間カラチ、テヘラン、ナイロビと海外勤務。帰国後本社でアフリカ関係担当、御巣鷹山事故の
あと再びナイロビ支店長、その後本社会長室部長、1990年アフリカ調査開発部長を最後に退職。
「糺すべきことを糺したために疎れ、海外の僻地を転々と、十年の長きにわたって流浪した現代の”流浪の徒”」ともい
われた経歴をもつが、そのアフリカでの経験が、すばらしいサバンナの大自然の紹介者として、また別の輝かしい経歴 を加えている。
1990年、定年退職後、アフリカの撮影・執筆活動を本格化し、現在は1年の三分の一以上を現地で過ごしている。サ
ファリ・野外活動は通産3000日を超えている。
1972年、ケニア政府から日本人として最初で最後の公認プロハンター、1992年、外国人としてただ一人の名誉ヴォー
デン(野生生物保全管理者)に任命されている。他にタンザニア、ウガンダ各共和国の名誉ウォーデンも任命される。
1976年、戸川幸夫、田中光常、羽仁進、渥美清、小原秀雄、増井光子、岩合光昭の諸氏らと「サバンナクラブ」(戸川
幸夫以下約600人)を結成、事務局長として東アフリカ諸国との友好促進、自然保全に取り組んでいた。
日本アフリカ学会、日本哺乳類学会、日本ナイル・エツオピア学会に所属。
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