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 特別寄稿
吉村 昭 氏のこと



 「絶滅種」、それは何も環境汚染で生態系が危険視されてしる動植物や言語だけと思うのは大きな間違いで、昭和一
ケタ生れの人間もその「種」に属しているのである。斯く言う老生もその一人なのだ
 同年のルポルタージュというかノンフィクションというか、すぐれた作家澤地久枝女史によると「玉砕」も「自決」も「戦
争」という言葉も遠くなているそうである。「知りませーん」という世代が全人口の2/3以上であるらしい。そなわけで絶
滅しそうな戦時の世相とその時代を、あらゆるものに不足を来たし、育ち盛りに飢えと戦い、戦場で戦い、そして死に、
或いは生きる続けた人間を、ひたすら当時の精神史として書きつづけた、これも絶滅種?の一人、吉村昭という作家
がいる。

 生れた時から十代の前半まで、日本は「世界」を敵として闘っていた。どんな時代だったか、それこそ「知りませーん」
で過ごせる人種の方が幸せなのかもしれない。しかし、多事多難の時代は僅かに五十年ほど過ぎただけであり、多く
が戦場で戦地そのままに化したこの日本という国土で死に或いは生き続けた人間がいて、現在があり、国があるという
ことを振り返ってみる人間がいても良いではないか、そうでなければ国の為と信じて散華しあるいは苦難の道を行き続
けた魂に相済むまい。
 吉村昭氏の「戦史」を読んだ時、そのことを痛感させられた。
 今も昔も変わることなく、世渡りのうまい世故に長けた奴、不運で下手な生き方しかできなかった人種、その他諸々の
人間と時代を、これほどまでにあからさまに書き綴った作家はいない。「死」が日常茶飯事であった時代を氏と同様に
運良くというべきか、不運にもというべきか私なども生き残ったクチである。思い出すだに悲痛が噴出す「広島」の惨状
を見た私は一人であるのだ。その結果、核兵器廃絶運動に積極的に参加することになり、これは現在も続けている
が。
 余談になってしまった。吉村昭はフィクションの少ない作家である。フィクションにも必ずといってよいほど「史実」と
「死」がつきまとっているような気がするのは私だけだろうか。「戦史」は証言者がいなくなったので歴史小説に。それも
史実の確かに検証できる徳川幕府中期以降にしたと、これは本人があちこちに記している。
 十代の終わりに、当時は「死病」とされた結核を患い「死」を覚悟したが、なんとも生きたいという熱望が、まだ実験段
階でしかなかった手術をうけ、奇跡的に生還を果たしたという氏の体験が、作品のバックボーンになっていることはいう
をまたない。「日本医家伝」「雪の花」「ふぉん・しいぼるとの娘」(シーボルトが一般的だが、これも氏の流儀でオランダ
語の発音になっている)「夜明けの雷鳴」「冬の鷹」「白い航跡」「神々の沈黙」etc. 医家と医術を扱ったノンフィクショ
ンが誕生したのも偶然ではない。誠実な氏は、それぞれの作品を書くもとになった人と時代と取材経緯を、これまた克
明にエッセイとして公表されている。
 氏の作品に触れてみたいという読者がいたら、最初に「わたしの引出し」を、第二次大戦の史実なら「戦艦武蔵」より
「零式戦闘機」をお奨めする。これは世界でもっとも優れた(無論昭和十年代の後半)戦闘機を創り出した技術者たち
の物語であると同時に、太平洋戦争の悲惨な激戦を書き遺した戦史文学の名著である。日本海海戦を描ききった「海
の史劇」と双璧をなす。
 歴史文学には数々の名著があって、どれかひとつというわけにはいかなくなる。「桜田門外」「長英逃亡」「生麦事件」
「ニコライ遭難」などなど。そして不運で悲しい運命を辿る漂流者の物語など。それぞれの分野にわたって実に確かな
事実に裏打ちされていて、まさに心を鷲掴みにされた感動を覚える。
 どれでもいい、どのジャンルでもかまわない。実に無雑作に吉村昭氏の作品は「感動」を導き出してくれる。多くの人
に一読をお奨めする。

 私の読んだ作品を自分流に分類してみた。別表を見られたい。

 

 読書は各人各様で方法はない。ある一人の作家との出会いも一期一会である。これもまた、私の口癖である。
 私の文学漂流は長く続いた。しかし、不思議とルポルタージュとノンフィクションは極めて少ない。僅かに澤地久枝さん
をよんだくらい。同年の絶滅種に類する人種はなでか心優しいのである。

 吉村昭氏の文学との出会いはふとした偶然で、正林堂の店長である星野氏のすすめによる。歴史文学とか時代小
説は誰が好きかというような話から、私は文通もし、対談したこともある池波正太郎氏と一度も出会ったことはないが、
藤沢周平氏、それと武士道を見事に書いた柴練さんが好き、といったと思う。そのとき、氏は吉村昭がおすすめ、とい
った。
 その時はまだ読もうと思ったわけではない。その頃はまだ夏樹静子せんせいの作品を全て集められるかどうか、残り
数点となっていた頃で、その方が大きな関心事であった。
 集め終わった!読んだ!次は誰にするか?でふと星野氏のお奨めを思い出した次第で何気なく手にとった。それが
始まりである。あとはもう手当たり次第というていたらくで、初期に出版された本は入手できず、星野氏の手持ち分をす
べて拝借。いつの間にか百冊を越えた。平成十三年の八月半ばのことである。星野氏がいなければ、吉村昭氏の作
品との出会いはなかった。それを想うと持つべきは良いブックアドヴァイザーが私にはいて幸いであるとつくづく思うし、
感謝している。氏の推奨に「外れ」は無し。ただ困ったことにはやたらと理論的な社会学の研究書が増えたということ
で、此の処「本」と格闘している。
 楽しい読書を!と人サマには言いながら、そう正林堂の皆さんにはそう云われて私は買い込んでくるが、内情は甚だ
アヤシイのである。

 それでも人生のボツボツ棚卸しを始める歳になって読める本のあることはやはり楽しいことである。孤独を忘れ、苦し
さやいやな出来事も忘れていられる。
 読書の最たる効用というべきか。

                                      柏木 武史
               
 



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