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第一テーマ館 田舎で「美しく」暮らす
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上野村の特異な存在は、このテーマ館でとりあげている日航機の御巣鷹山墜落事故を通じてはじめて、多くのひとに
知られるようになったといえるでしょう。
あの事故が、上野村の人々や黒沢村長の存在によって、どれだけ被害者遺族と日航社員、現場の医療関係者や警
察、自衛隊の間で敵対しがちな人々の心をやわらげることができたことでしょうか。
もちろん、責任の問題をひとつとして蔑ろにして良いことはありませんが、問題解決の上でもっとも大事な、苦しんでい
る相手の立場に立ち協力する、という本来の人間の姿勢をどれだけ多くの人々に身をもって教えてくれて、気づかせて くれたことでしょう。 ![]()
そんな印象を日航機事故を通じて上野村に対してもちだしたのですが、事故後、新聞記事などに出てくる上野村のこ
とを、いろいろ目にするにしたがい、この群馬県下ばかりでなく、全国的にみても交通の便の悪いこと極まりないこの小 さな村(参照ページ御巣鷹山慰霊登山)が、山村のあり方だけでなく、地方自治のあり方について、実に多くのことを教 えてくれることに次第に気づきはじめました。
まず、第一にあげられるのは、自治(地方自治)に対する上野村の姿勢です。
最近、至るところで進んでいる市町村合併の動きに、上野村は聞く耳をもたないという立場を守っています。
自治体単位の問題ばかりでなく、上野村は、村を単位とする農協、森林組合を維持している、いまではめずらしい村
でもあります。農協も森林組合も、指揮官庁は日本中で広域合併をすすめているなかでのことです。
これは、なによりも、「自治」というものは、お金が無いからとか、何らかの機構で利便性に劣るからといった理由だけ
で、隣同士くっつけば解決する問題ではない、本来の自立性があってこそ成り立つものであるという姿勢が根本にある からです。
お金が無いから補助金をもらう(現実には上野村は取得可能な補助金は、かなり積極的に利用もしています)、他所
からの企業誘致をはかるといったことばかりしていたのでは、およそはじめから「自治」などということは放棄しているに 等しく、ひたすたどこかへの従属への道を歩むばかりになってしまう。
それに対して、上野村は、ひとつの名前をもった自治体が歴史的に存在するのは、その地域の長い時間をかけた自
然や歴史、文化が存在するからであり、その歴史が築いてきたものを守り育てることを自分の力で、お金が無いなら無 いなりに知恵を出し合って行なっていくことこそ「自治」の基本であると考えます。
もちろん、それは容易いことではありません。
今日、こうしたことを言うはやすし、行なうは、いかに難しいか。
これは宣言するだけでなく、こうした本来の自治の姿勢を表明するということは、同時に、中央からの様々な強い圧力
に対して、たいへんな闘いをともなってはじめて約束されることだからです。他のあらゆる問題でも共通しているのです が、「守る」ということは、外部からの強烈な力に抗する努力をともなわないと、いかにそれが正しいものであっても、簡 単に押しつぶされてしまうことの方があまりにも多い世の中です。
特に地方財政を、いかにささえるかなどを考えたら、ほとんどの自治体は、中央からの圧力に屈せざるをえない実情
になっています。しかし、自治(地方自治)を実現したいのなら、その壁は絶対に突破しないかぎり、いくら財政的に「豊 か」になったとしても、自治からかけはなれた「従属行政」からは抜け出しえないのが現実です。 ![]()
そして、上野村はこの真の独立した自治を実現するための最大の財産として、豊かな自然、特に多くの山村が諦め
ている林業に力を入れています。
上野村に教わる第二のことは、豊かな自然を守り育てる、といってしまうとありきたりのことですが、他にたよる産業
基盤がないだけに、10年、20年、30年、あるいは100年というサイクルで、山林をはじめとした自然をいかに大切に 守り育てるか、真剣に考えて実行しているところにあります。
農業も林業もただ従事しているだけでは、外国から入ってくる安い商品に簡単に駆逐されてしまう時代です。いくら交
通が不便な山村でも、世界の商品市場の波は容赦なく押しよせてきます。
それに対抗するには、ふたつの大きな努力が必要です。
ひとつは、対外的に競争力のある優れた独自な商品を開発すること。
どこも力のある企業誘致にはしりがちですが、自治を基盤に考えた場合、外部からなにかを持ち込むことよりも、外
部の先進的な経験に積極的に学びながら、自分たちの内部に新しいものを育てることがなによりも大切なことです。
イノブタの飼育や、挽き物の半製品製造からはじめた木工業などの研究努力を積み重ねています。
もうひとつは、村外からの現金収入を求めるばかりに、輸入や村外への輸出にあまり多く依存しすぎることなく、村の
内部の相互協力による助け合いで、内部循環する経済や人間関係、そしてそれらの総元である再生産されつづける 自然をきずくことです。
ある村人が「村には失業者はいないから」と言ったそうですが、仕事がない、失業したといっても、村では相互協力関
係が強いため、みなが気にかけていて、誰かがそのひとに合った仕事を見つけ出してくれるそうです。安定した雇用先 は少なくても、農業、林業を柱に常に仕事はあるという点で、村人の労働は都市よりも安定しています。
そして、それらの条件があるからこそおこりえたことだとも思うのですが、いわゆるボケ老人のいない村としても、上野
村はいつのまにか有名になっていました。
なぜ、上野村がそうなったのか、多くの専門家が調査、研究に訪れているようですが、上野村に移り住んでいる哲学
者の内山節は次のように推論しています。
高齢者は誰もが自分の体力にあった規模で農業をしている。それがよいのだろうと言う 人もいる。確かに農
業は、1年の時間の流れのなかでの人の役割を、自然なかたちで教え てくれるから、その役割をこなしている充足 感が農民にはある。
もっと大きな理由は、村には「過去」が自分のすぐ横にある、ということだろう。自分が子 供のころに記憶した
山も川も、集落も、基本的には変わることなく目の前にある。その頃お ぼえた農業や山菜採り、茸狩りは、いまもそ のままのかたちでつづけられている。一方では 村も変わり、多くの親しい人たちが他界していったにもかかわらず、 昔の祭りがいまも続い ているように、基層的な自然と人間の営みは、「過去」の記憶と変わっていない。それに他 界していった人々も、村に暮らし、村に眠った人々として、「過去」と結びつきながら記憶さ れている。
村の暮らしのなかでは、「過去」は、現在の自分の生活の中に、再現される場所を持って いるのである。
内山 節 上野村日記Jより 東京新聞
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北欧では、老人が施設などに入る場合でも、できる限りそれまで暮らしていた環境を維持・継続できるよう、それまで
家で使っていた家具、食器などを可能な限り持ち込んでおいて置くようにすることが常識になっているそうです。
人間が生きていくうえで、積極的に外部にはたらきかけて変えていくことの重要性と、同時に、いつまでも変わらない
ままであることの重要性の両面を、上野村は私たちにおしえてくれているように思えます。
そして日航機事故の関連で、最後にもうひとつ紹介したいのが、上野村消防団のことです。
事故後、地理を熟知した地元消防団の協力・活躍は各方面から賞賛されました。
ところが、他町村の人々から上野村消防団はよく尽くしたと褒められた意味は少し違います。
「のちに他町村の方々から私に上野村消防団はよく尽くした、とお褒めの言葉をいただくことがあって、私が『あなたの
所の消防団でも事件があれば同様に対処するでしょう』と答えると、『いや違う。われわれの地域では何日も続けて全 員出動などできない。それを上野村の消防団は何日も続けたから頭が下がるのだ』。」
黒沢元村長は、消防団は今の日本社会でただ一つ残る奉仕団体であるとも言っていますが、現代では通常、二日、
三日にも及ぶ活動でもあれば、当然それぞれの生業の都合で一人抜け、二人抜け、と人数が減っていってしまうのが 普通です。
それを日航機事故のときの上野村消防団は何日にも及び、ほぼ全員が出動し続けた。
当時、黒沢村長は、村に助け合いの精神が根付くにはまだまだ時間がかかると思っていたところ、この消防団の活
躍をみて、すでに「助け合いの精神」は村に根付いていたと気づき感動する。 ![]()
この事故後、所感として黒沢村長は次のような一文を残しています。
所 感
(イ) この事故処理の初め、私は遺体収容の場所を当然準備すべきものと考えて県警本部長に相談した際、
この救助救難活動が組織化して協力しあっていないことに気づいた。
自分が遺体収容は村内と思う前に、救難救助の主役は誰かを考えて、その人に問うべきを問わなかったこと、主役
側かあらも知らせて来なかったことに気づいたからだ。
上野村には幾つもの事故対策本部ができたが、終始組織化されなかった。
特に遺体収集を同じ所で毎日行っている機動隊と自衛隊を見て、これでは真の力の結集した作業はできまいと感じ、
以来、このようなときに備えて、有事に際して誰を指揮官としていかに組織化して協力するかを定めておくべきだと唱え てきたが、いまだそれができていない。
その悪い結果が阪神大震災の救助救難活動に出たことを猛反省すべきではあるまいか。
(ロ) 消防団はわが国社会における唯一の奉仕団体で、国民に己を犠牲にして社会に奉仕する見本を示して
いる尊い存在であることを忘れてはなるまい。
すべてに代表される財力さえあれば一人で生きられると錯覚して自分本位になり、社会の恩を忘れ、己のみを主張
する社会は、不健全で烏合の衆に近い。
真の社会には、社会への連帯意識と協力の心が強くなければなるまい。
都会でも消防団を組織して犠牲を覚悟した消防団活動を盛んにしたらと思う。
これらのことは、小さな村だからこそ可能であったことかもしれませんが、そもそも「自治」とは、より小さな単位でこそ
その真価を発揮するものではないでしょうか。そのことを、最近の市町村合併の流れはまったく見失っているようにも見 えます。 ![]()
ひとつの時代が終わり、ひとつの時代がはじまろうとしている。
近代の思想は、文字を媒介にして世界共通の問題を見出そうとしてきた。それは、普遍的なもの、機能的なもの、交換可能なものを基調とし、単
一化・均質化を加速させ、世界共通で通用するものに価値を求めるものであった。文字で表現できるものは「高尚なもの」であり、限られた地域で しか通用しない文字で表現できないものは「たわいないもの」と考えられてきた。しかし、20世紀末になってそれは逆だと気づいた。「浅いことは世 界共通にできるが、深いことはできない」、「浅いことは言語で表現できるが、深いことはできない」。
本書は、「21世紀の価値観の変化を問う−ローカルな思想を創る」をテーマに開かれた哲学者内山節、町づくり実践者中谷健太郎、マーケティン
グ・プランナー出島二郎の鼎談をもとにまとめたものである。
内山節は、『現代の私たちの考えを支配している思想は、戦後思想であり、欧米思想であり、ヨーロッパの近代思想であった。日本の伝統的・土
着的思想は脇の思想となっているが、思想的な世界にはグローバルなものとローカルなものがあるのではなく、本来ローカルなものしかありえな い。とかく「地域限定であることは劣っている」という意識があるが、このような発想を逆転させることが大切である』と、述べている。
中谷健太郎は、『「ここに湯布院があった」、「これこそ湯布院だ」という実感をもっていただくためには、地域のイメージを濃密なものにしていかな
ければならない。地域に入るということは、狭いエリアにいることを強く印象づけることだ。顔の見える範囲で暮らし、「ここにしかないものや習慣」を 大事にして生きていく。それを旅人に共感してもらえれば、地域や地方はさらに生き生きとしてくるだろう』と、述べている。
出島二郎は、『現在の地域づくりや町づくりは戦術的といえるのではないか。誰もが「大」なることをめざしている。しかし、小さいものが小さいま
まで生きつづける可能性は地域ならではの美、味わい、コクなどテイストという差別化にある。工芸都市金沢に脈々と受け継がれてきた遺伝子 は、加賀藩五代将軍前田綱紀の「細工所」、「百工比照」という命がけの戦略から生まれている。何処の地域にも遺伝子はある。それは地域に暮 らす人々によって継承されなければならない』と、述べている。
本書「はしがき」より
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あらためて過疎化の波のなかで、国から切り捨てられる山村が、本来の姿を取り戻す姿の例として高知県のことを次
に紹介してみます。 ![]()
平成の大合併と言われる市町村合併の流れは、財政力のない自治体は、力のある自治体と合併しなさい、もしくは
弱いもの同志は徒党を組んで強くなりなさいとばかりに、経済界で行われている市場競争原理がそのまま持ち込まれ たような観がありますが、この流れにまったく組しない自治体は、上野村ばかりではありません。(いつか福島県の南端 の矢祭町などは、是非ご紹介したい町です)
合併問題や補助金問題で国から見捨てられる運命に立たされて、自らかかえる財政難から背に腹は変えられない選
択を迫られた自治体は数多ありますが、他方、ここまでくると、「国を見捨てる」自治体というのも現われはじめていま す。
そのひとつが、清流四万十川流れる高知県です。
内橋克人氏が、NHK人間講座『「共生経済」が始まる』(2005年2〜3月放送)のなかで、次のように紹介しています。
いうまでもありませんが、高知県は、小規模農家や小規模漁業者が多く、一事業所あたりの従業員数でいえば全国
で下から三番目。人口一万人あたりに小売商店の数は日本一です。つまり、それだけ零細な日本型自営業がいかに 多いか、示していることになります。
財政力、地域経済力、収益力、その他、いま猖獗(しょうけつ)を極めるマネー資本主義からすれば、まさに弱体自治
体という烙印を捺されてしまうこと、間違いないでしょう。
県内総生産額 46位
県民所得(人口1人あたり) 45位
財政力指数 47位
地方交付税額(人口1人あたり) 3位
公的支出(人口1人あたり) 2位
国庫支出金額(人口1人あたり) 3位
地方債現在高(人口1人あたり) 5位
(高知県企画振興部統計課「見てみいや高知の統計」より)
ところが、視点をちょっと変えてみただけで、同地域がいかに素晴らしい潜在力を秘めているか、お分かり頂けると思
います。
たとえば、人口あたりの学校数はどうか、社会福祉施設はどうか、です。つまり、住民の立場から見て好ましい環境
はどうなっているのか、それこそが知りたいところではないでしょうか。意外かもしれませんが、実はそのいずれにおい ても高知は日本一なのです。子どもの教育、年老いてからのケア、安心して暮らしを続けることのできることこそ高知と いうことです。
森林面積割合 1位
小学校数(児童10万人あたり) 1位
中学校数(生徒10万人あたり) 1位
図書館数(人口100万人あたり) 5位
児童福祉施設数(15歳未満人口1万人あたり) 2位
社会福祉施設数(人口10万人あたり) 1位
身体障害者更生援護施設数(人口100万人あたり) 2位
病床数(人口10万人あたり) 1位
医師数(人口10万人あたり) 2位
看護師数(人口10万人あたり) 1位
同紙の「近未来フィクション 高知県独立」はこう書いています。
「人が肩を寄せ合い、地域のコミュニティーを大事にしながら生きているのが高知県なのである。『効率化』という日本
政府が敷くレースからすれば、間違いなく最下位ランナーだろう。ならば価値観を逆にすれば・・・・・。日本の最後尾を 走っているということは、価値観が逆になればトップになる。つまり、日本政府と逆の方向を目指せばいいのではない か。それが『真の豊かさ』を追求する発想だった」(高知新聞、2004年9月7日朝刊)
中央の目線で見れば最低かも知れないが、県民の立場からすれば素晴らしい条件の地域というべきであり、二十一
世紀日本の選択として学ぶべき地域ということになるのです。なぜ、このように国と地方でひっくり返ってしまうのか。本 来ならば、国と地方の目指すべき価値観は一致していないとおかしいのではないでしょうか。
そこで高知県は自分たち自身でみずからの進路を見定め、選択し、決定することにしたのです。県という行政体では
なく、住民の自主的選択といったほうが的確かもしれません。それを高知新聞は反映させたといえる。選択の方向は次 のようなものでした。何よりも私たちを「お荷物視」する日本から離脱しよう、そして私たちが育み、慈しんできた特徴、 よき人間性、そしてどこにもない恵まれた海と山の自然を生かそう。現代日本を被う市場一元支配社会、それを推し進 めるような政府の治める日本から離脱するのが最善、とそう考えるようになった。
NHK人間講座 内橋 克人『「共生経済」が始まる』 日本放送出版協会 より
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内橋氏は、常に「もう一つの日本」は可能だと、うったえ続けていますが、今こそもっと多様な明日の姿を捉えなおして
みたほうが良いのではないでしょうか。 ![]()
文 ・ 星野 上
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