吉岡町に正福寺というお寺があるのをご存知でしょうか。
かつては、廃寺になって荒れ果てていたところを、現住職が立て直されたお寺なので、特別な名刹というわけでもな
く、知らない方の方が多いことと思います。
昭和44年3月に現住職がこのお寺に来たときは、畳は一枚もない、トイレはない、つく鐘もない、器もない、外は藪の
中といった有様だったそうです。
それを榛東村の間伐材を分けてもらったり、檀家さんや近隣の人に協力してもらったりして、ようやく今のようなお寺
の姿にすることができたとのことです。
今も檀家さんが、見るに見かねて「今どきこんなお寺ないだろう、なんとかしてやるよ。」なんて言ってくれる人がいる
そうですが、住職は「へえ、じゃまかせるよ」というだけ。
「でも参加出来ない人が心苦しく感じることのないようにやっておくれ」とつけ加える。
このホームページの取材で話をうかがいにお邪魔させてもいいですか、と電話したときも「仏教のことなんか知らない
よ」との返事が返ってきて、これはきっと本物の坊さんであると確信しました。
そもそも坊さんの着るものなどというものは、糞掃衣(ふんぞうえ)に代表されるように、野垂れ死にした乞食の着てい
たものや、漂流者の着ていたもの、あるいは女性の生理を拭いた布着れなどを着用するのが本来の姿であり、紫やキ ンキラキンの法衣を着ることなど本来の仏教の教えにはない。
住職は袈裟をはじめ、寺のなかにあるものはなんでも自分でつくる。
裁縫、パッチワークなどを駆使してありあわせの布切れで、袈裟などを作ってしまう。ただ、檀家さんによっては、世間
並みのお坊さんの格好をして来てくれないと不安になってしまう人もいるので、そのような場合にはちゃんと世間並みの 坊さんの格好をしてあげるという。
今日のお寺は、本来の仏教とはかけはなれたただの葬式仏教になりはててしまっているのではないですか、と不躾な
質問をさせていただいたところ、「仏教がないのではなくて、導く人がいないのです。」との返事が返ってきました。
住職は葬儀の場で、ありがたい話はしたことがない、という。
いつも話すのは、残されたひとたちがどのようにしたら幸せになれるか、といったことだけを話す。それが亡くなったひ
とが安心できるためのなによりの供養になる。
仏さんにつける名前も、値段で決めるような戒名ではなく、安名(あんみょう)という安心して仏の弟子になれる名前を
つける。
生活に無理な犠牲を強いてまで高いお布施を出して、どうして亡くなった人がよろこぶだろう。不本意なお布施をいた
だいたときは、黙って仏前においてくることもあるという。
かといって、そうした考えを闇雲に押し通すようなことも決してしない。常に相手にあったお寺の姿をとるのがよいと考
え、良きひとも悪しきひとも必ずそのひとの身のたつように心がける。
形式にとらわれない葬儀はわかりましたが、ではどのようなお寺の姿を考えているのですか、と尋ねたところ、お寺の
お仕事でおつきあいするような関係はきずきたくないという。
檀家さんとの関係は冗談話をすることによってこそ、本音が出せるようになる。
いつもお寺のお務めは昼過ぎまでにして、3時頃からは、ジャージなどの普通の格好をして外に出る。そして「おーい、
仕事の邪魔しにきたよ」と檀家や町のひとのところをまわる。
遊ぶ暇もなく働いているひとに「遊びに来たよ」と言って、きちんと仕事の邪魔してあげるのが仏の安らぎをあたえるこ
とであり、坊さんのもうひとつのおつとめであるというようなことを言っていました。
|