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茂左衛門の直訴が、はなはだ曖昧で、史実としては信じ難いものと言わざるをえないのに比べ、この同じ頃の同じ月
夜野町真庭政所の名主、松井市兵衛の直訴はかなりの信憑性をもっています。
昭和27年刊の『沼田町史』によれば、松井市兵衛が延宝9年(天和元年−1681年)正月ごろ、将軍綱吉の使番桜井庄之助勝正に越訴を行なっ
たという。使番は、将軍の代替わりごとに諸国を巡視し、各大名の治績や動向を視察する任務を持っており、桜井庄之助は沼田方面の担当では なかったかと推察されるという。したがって市兵衛が越訴の相手として選んだことも、妥当な判断であったことになるが、越訴した場所については、 巡視先であったか、あるいは江戸であったか明らかではない。言い伝えによれば、庄之助に越訴を行なった結果捕らえられて、身柄を沼田に引き 渡され、投獄のうえ、天和元年12月に死罪に処せられたという。
(横山十四男著『義民』三省堂新書 より)
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