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問題だらけこそ人生、「べてるの家」に学ぶ





 この本のことは比企文化社さんのホームページhttp://www.e-hon.ne.jp/SHOP31033で知りました。
 かつて、比企文化社の大木社長さんに私は、健康なんていうものは、毎朝スポーンと抜けるようなウンコさえ出ていれば大丈夫などとイキ巻いて
いたところ、否、病気といかにうまく付き合うかということこそ大事であるといったようなことを言い返されたような記憶があります。
 その時は、失礼ながら歳をとってくるとそのようなものなのかくらいにしか受け止めていなかったのですが、その言葉の背景に、ここで紹介する本
書で言われているような大事なことが隠されていることにようやく気づきました。

 また本書は、トーハンなどのジャンル別ベストセラーリストの医学書部門で、各種医療や薬物関係の事典やハンドブックなど専門的な実務書ば
かり並ぶなかで唯一、読みもので長い間ランクインし続けている本でもあります。
 まさにこうした本こそ、ただ店頭に積み上げているだけではどんなにすばらしい本であるかは理解されず、だれかの紹介があってはじめて、多く
のひとびとに読みつがれていく本であるといえるので、この本だけの内容紹介チラシもつくって、病院関係ばかりでなく、学校や職場、家庭などで
も考え方を参考にできる本として広く普及させていきたいと思っています。


  

浦河べてるの家
『べてるの家の「非」援助論  そのままでいいと思えるための25章』
医学書院(2002/06)  定価 本体2,000円+税




 今日も、明日も、あさっても、
       べてるはいつも問題だらけ
                ー それで順調!
 
 べてるは、いつも問題だらけだ。今日も、明日も、あさっても、もしかしたら、ずっと問題だらけかもしれない。組織の運営や商売につきものの、人
間関係のあつれきも日常的に起きてくる。一日生きることだけでも、排泄物のように問題や苦労が発生する。
 しかし、非常手段ともいうべき「病気」という逃げ場から抜け出して、「具体的な暮らしの悩み」として問題を現実化したほうがいい。それが仲間ど
うしで共有しあい、その問題を生き抜くことを選択したほうがじつは生きやすい――べてるが学んできたのはこのことである。
 こうして私たちは。「誰もが、自分の悩みや苦労を担う主人公になる」という伝統を育んできた。だから、苦労があればあるほどみんなでこういう。
「それで順調!」と。                (本書23ページより)






右下がりに生きる


 べてるのメンバーが精神障害という病気と出会って学んだいちばん大切なことは、「生き方の方向」ではないだろうか。
 誰でも、子どものときから大人に至るまで、勉強にしろスポーツにしろ、他人より秀でていることを善しとする価値観のなかで精いっぱい生きてい
る。歩けなかった赤ん坊が歩きはじめ、知恵がつき、言葉が与えられるのと同じように、できなかったことができるようになることが、まるで人間の
当然のプロセスであるかのように。
 しかし元来、人間は人として自然な生き方の方向というものが与えられていつのではないか。その生き方の方向というのが、「右下がり」である。
昇る生き方に対して「降りる生き方」である。
 現実には多くの人たちが、病気になりながらも「夢よもう一度」の気持ちをすてきれず、競争しつつ「右上がり」の人生の方向を目指している。何
度も何度も自分に夢を託し、昇る人生に立ち戻ろうとする。ところが不思議なことに、「精神障害」という病気はそれを許さない。「再発」というかたち
でかたくなに抵抗する。まるで「それはあなた自身の生きる方向ではないよ」と言っているかのように・・・・・。                (本
書40ページより)





失った「悩む力」をとりもどす


 多くの当事者は病院を生活の場とし、苦痛を除かれ、少しの不安も不快に感じ、薬を欲し、悩みそれ自体を消し去ることを目的とするかのような
世界で長年暮らしてきた。そのなかでかれらは、「不安や悩みと出会いながら生きる」という人間的な営みの豊かさと可能性を失う。
 しかしべてるは、失った「悩む力」を、生きながらとりもどす場だ。
 かつて苦しんだ競争原理に支配された日常のなかに、ふたたび何事もなかったかのように舞い戻るような「社会復帰」はめざさない。一人ひとり
が、あるがままに、「病気の御旗」を振りながら、地域のかかえる苦労という現実に「商売」をとおして降りていきたい。                 
                 (本書46ページより)





        三度の飯よりミーティング
     
       話し合いは支えあい――問題を出し合い解決する場ではない
            問題を解決しない・・・・問題志向ではなく希望志向

 べてるのリーダーたちはみんな心配性で、人とのつきあいが不器用で、およそビジネスの世界で求められるリーダー像とは正反対のキャラクター
をもっている。一緒に働く仲間もそれ以上に自分中心であるくせに自信がなかったり、さらには幻聴に苛まれたりしている。しかもべてるには、人か
ら指図され、叱られながら我慢して仕事をつづけることのできるような器用な人間は誰もいない。
 そんなメンバーの過去の挫折や行きづまりを見ていると、彼らが「関係」に挫折してきたことがわかる。それは他者との関係であり、自分との関係
だ。
 だから関係に挫折し自信を失ってきた一人ひとりが、持てる力を発揮するためには、「関係」において回復し、関係のなかで自信をとりもどしてい
くしかない。その意味で「ミーティング」とは、問題を出し合い解決する場ではなく、傷つき、自信を失いやすい者たちがお互いを励ましあうプログラ
ムとしてある。          (本書94ページより)





(病気は)勝手に治ると始末が悪い

 (しかも)べてるのメンバーは誰も、「病院にかかったおかげで治った」とか「先生のおかげで治った」などとはお世辞でも言わない。メンバーも平
気で「川村先生の失敗作です」と言う。しかも、「先生のおかげで治った」などという治り方は「もっとも良くない治り方」だとみんながわかっている。
 長い間、精神分裂病の症状の再燃に苦しんできた水野典子さんは言う。
「精神的な混乱状態や表面的な症状が落ち着いた今がいちばん苦しい」と。
 薬は、症状の緩和と予防には効果があるが、いかに生きていくかというその人固有の人生課題の解決には当然のごとく無力である。人につな
がり、人に揉まれ、出会いのなかではじめて、その人らしい味のある本当の回復がはじまる。だからべてるでは、誰からともなく「勝手に治すなよ」
とも言われる。
「一人ぼっちで勝手に治ると、病気のときよりも始末が悪い」からである。こんなことが、一つのことわざのように当事者から当事者へと伝えられえ
ていく。                       (本書109ページより)





弱さを絆に
       
          弱さは強さが弱体化したものではない
                 弱さには弱さとして意味があり、価値がある

 精神障害を定義したり説明する言葉は多々あるが、それは一言でいうと「人づきあいに困難を生じる病い」である。
 およそ誰しもが生きていくうえで美徳とする社会規範――勤勉で、思いやりにあふれ、笑顔を絶やさず、他人と協調するといったこと――とは正
反対のことが起きてしまう。それゆえ社会から孤立し、とくに身近な人間関係である家族や職場において軋みが生じ、生きづらさをかかえてしまう
ことになる。礼節を重んじる一般社会のなかでは、真っ先に叱責の対象となり、排斥される。
 もちろん当事者は、わざとしているわけではない。理解力や記憶力が低下したり、根気がつづかなくなったり、人の話し声が悪口に聞こえる。そう
いった現実の苦労のなかで、誰よりもそのような自分に落胆し、不甲斐なさに腹をたてながら、普通に暮らすことに何倍ものエネルギーを費やしな
がらかれらは生きている。
 そして当時は、それらの「弱さ」は、つねに病気の症状の一つとして治療や訓練の結果、克服すべきものとしてあった。「病気の克服」と「社会復
帰」という周囲の期待と、それができない現実との狭間で、いつも自分に鞭をふるいながら暮らしていた。                        
        (本書188ページ)


 仕事も含めて、あらゆる作業や事業を進めるなかでわかってきたことがある。それは、到達目標や注意事項を強調するよりも、各人がかかえる弱
さやもろさから今後おきるであろうさまざまなアクシデントを事前に予測して、それをお互いに知らせ合うことが大切だということだ。
 つまり個々の「弱さの情報公開」をすることを通じて助け合いが生まれ、結果としてリスクを回避する効果がある。こんなことも経験的にわかって
きた。
 弱さとは、強さが弱体化したものではない。弱さとは、強さに向かうための一つのプロセスでもない。弱さには弱さとして意味があり、価値がある
――このように、べてるの家には独特の「弱さの文化」がある。
「強いこと」「正しいこと」に支配された価値のなかで「人間とは弱いものなのだ」という事実に向き合い、そのなかで「弱さ」のもつ可能性と底力を用
いた生き方を選択する。そんな暮らしの文化を育て上げてきたのだと思う。
                                       (本書196ページより)




斉藤道雄 著
『悩む力 べてるの家の人びと』
みすず書房(2002/04)
  


横川和夫 著
『降りていく生き方 「べてるの家」が歩む、もうひとつの道』
太郎次郎社(2003/03) 定価 本体2,000円+税
  


浦河べてるの家 『べてるの家の「当事者研究」』
医学書院(2005/02) 定価 本体2,000円+税
  


     





著者紹介

 浦河べてるの家(うらかわべてるのいえ)とは、精神障害をかかえた人たちの有限会社・社会福祉法人の名称。北海道浦河町で共同作業所・共
同住居・通所授産施設などを運営しており、事業に参加している人たちの総数は100人を超える。

 1980年に回復者クラブ「どんぐりの会」の有志が教会の古い会堂を住居として借り受け発足した(べてるの家と名付けられたのは1984年)。後に
昆布の下請け作業から自前での製造販売を開始、さらには地域での介護用品の販売に取り組み、1993年には有限会社、2002年には社会福祉
法人を設立した。それぞれの代表は、回復者のメンバーがつとめている。
「弱さを絆に」「三度の飯よりミーティング」「昆布も売ります、病気も売ります」「安心してサボれる会社づくり」「精神病でまちおこし」などをキャッチフ
レーズに、年商1億円、年間見学者1800人、いまや過疎の町を支える一大地場産業となった。
幻聴や妄想を語り合う「幻聴&妄想大会」、精神分裂病者のセルフヘルプグループ「SA」等々、世界の精神医療の最先端の試みが、ここ北海道
の浦河という小さな町ですでに根を下ろしていたことでも注目を集めている。
1999年日本精神神経学会第1回精神医療奨励賞、2000年若月俊一賞(代表受賞・川村敏明)を受賞。

●今後の抱負・・・「さまざまな障害や病気を経験した当事者を起点とした『スロー・ビジネス』を興したい。今後もべてるはますます降りていきま
す!」
●主な著書等・・・『べてるの家の本』(1992年、べてるの家)のほか、ビデオ作品に『ベリー・オーディナリー・ピープル/予告編』全8巻、『精神分
裂病を生きる』全10巻。

〒057-0022 北海道浦河郡浦河町築地3-5-21
 http://www.tokeidai.co.jp/beterunoie
           (以上、本書著者紹介より)


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「心の専門家」はいらない
小沢牧子 著
洋泉社(2002/03) 定価 本体700円+税

 この日航機事故や阪神淡路大震災などの経験を通じて、被害者の「心のケア」の問題が注目されるようになり、アメリカ流に災害や事故にあわ
れた人びと、さらには教育の現場などにカウンセラーの派遣がしきるにさけばれていますが、著者はその「心の専門家」派遣の傾向には、大事な
問題のすり替えが隠されていると警鐘を鳴らしています。
 この著者の視点も、「べてるの家」とまったく立場を同じくするものであると思います。

・・・・「心の専門家」の普及・浸透は、人がものを考える習慣を確実に衰退させるということである。安楽に暮らしたい願いは誰しも抱いている。しか
し一方でそれが願望に止まるものであることを、誰もがどこかで知っている。「安楽でない何事か」は、必ず起きるのだ。そして解決をせまられる問
題・課題に出会うとき、止むをえずわたしたちは考える。答えをみつけようとすれば、考えざるをえない。日常の小さな課題もあるし、天下国家にか
かわる大きな問題もある。たとえば「今月のお金のやりくりどうしようか」というものから、「いまテロリズムにどう向き合うべきなのか」というものま
で。
 必要に迫られて考えることで、わたしたちは自分たちの暮らしの足場、つまり現実を作っていく。生きていくための力を手にすると言い換えてもよ
い。さまざまな課題・問題を日々考えることの積み重ねをとおして人は「手持ちのやり方」をしだいに身につけ、ようやく自信と呼ばれる感覚を得て
いく。           (本書144ページ)



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