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かみつけの国 本のテーマ館
 第六テーマ館 今、戦争をどう語るか

渋川市戦没者地域別年度別表
 (2004/10/23 更新)

日本中どの地域でも戦没者名簿はつくられていますが、
渋川市上之町の堀口靖之さんが、『ある陸軍曹長の戦死―渋川市戦没者について―』
という本のなかで戦没者を地域、年度別に表にまとめられています。
ウェブサイト用に元の表の形を多少変更させていただきましたが、
私たちの町がどのように戦争にかかわったのか、とてもリアルに浮かび上がっているので、
堀口さんのご承諾をいただき、ここに転載させていただくことにしました。



1、1931年から1941年(太平洋戦争開始まで)
10
No 戦没旧国名 年月日 1931 1932 1933 1937 1938 1939 1940 41.12.7 前10年間
中華民国
110
11
13
16
7
10
57
満州国
31
1
1
1
3
2
8
千島 樺太
4
朝鮮 台湾
9
1
1
日本合計
115
1
1
9
2
5
18
内 沖縄
16
内 硫黄島
13
内 病院自宅
72
1
1
2
1
2
内 他
14
 (合 計 人 数) 人数
2
12
17
26
9
17
84

     注 1932、34、35、36年は戦死ゼロ


2、1941年12月8日から1945年8月15日まで(戦中4年間)
11
12
13
14
15 16 17 18
No 戦没旧国名 年月日 41.12.8 1942 1943 43.3.3 1944 44.12.31 45.8.15 戦中4年
人数
1
25
128
内35
336
内24
276
767
中華民国
110
4
7
16
16
43
満州国
31
3
4
1
7
15
千島 樺太
4
3
1
4
朝鮮 台湾
9
2
2
4
日本合計
115
6
9
14
49
78
  内 沖縄
16
15
15
 内 硫黄島
13
3.17)
12+1
13
 内 病院自宅
72
3
1
4
 内 他
14
10
旧日本委任統治
76
3
54
24
11
68
11
 内パラウ諸島
42
2
30
24
7
39
12
 内マリアナ諸島
21
21
21
13
 内マーシャル諸島
6
5
1
6
14
 内ミクロネシア
7
1
3
4
15
英領ビルマ
92
2
6
62
19
89
16
英ソロモン諸島
9
5
1
2
1
9
17
英マレイシア
3
1
1
1
3
18
米領グアム
3
(8.2)3
3
19
仏インドシナ
3
3
3
20
米フィリピン
140
24
109
133
21
 内ルソン島
66
22
 内レイテ島
15
23
蘭領東インド
27
15
10
25
24
豪委任統治
106
1
52
35
37
14
103
25
 内ダンピル海峡
34
35
35
35
26
ニュウギニア
107
32
55
16
103
27
英インド
13
1
11
1
13
28
英ナウル
1
29
バシー海峡
6
7
7
30
太平洋
11
1
8
1
10
31
太平洋西
5
4
6
10
32
太平洋南
10
1
1
1
3
33
太平洋西南
3
34
太平洋北
3
2
1
3
35
太平洋東
1
1
1
36
太平洋南東
1
1
37
太平洋中部
7
4
1
5
38
太平洋本州南方
12
1
2
3
39
東シナ海
3
3
3
40
南シナ海
3
2
1
3
41
黄海
1
1
1
42
インド洋
1
1
1
43
ソ連
11
44
不明
5
1
1
1
3
45
南方
2
1
1
2
46
国名不詳 1)
4
1
2
47
  合    計
940
1
25
128
内35
336
内24
276
766
1941年12月8日、35、太平洋東の1名は、真珠湾攻撃の参加戦死者




3、1945年12月から1960年まで(戦後15年間)
19
20
21
22
23 24 25 26 27 28 29
No 戦没旧国名 年月
45.
12
1946 1947 1948 1949 1950 1952 1957 1960 戦後15
年間
不明
人数
39
29
6
2
5
2
1
1
1
84
4
中華民国
110
6
2
8
1
満州国
31
6
3
7
千島 樺太
4
朝鮮 台湾
9
1
2
3
日本合計
115
5
10
2
1
5
1
1
1
25
1
  内 沖縄
16
1
 内 硫黄島
13
 内 病院自宅
72
3
4
2
1
5
1
1
1
15
 内 他
14
1
1
10
旧日本委任統治
76
5
7
11
 内パラウ諸島
42
3
5
12
 内マリアナ諸島
21
13
 内マーシャル
6
14
 内ミクロネシア
7
2
2
15
英領ビルマ
92
2
2
16
英ソロモン諸島
9
17
英マレイシア
3
18
米領グアム
3
19
仏インドシナ
3
20
米フィリピン
140
5
2
7
1
21
 内ルソン島
66
4
22
 内レイテ島
15
23
蘭領東インド
27
2
2
24
豪委任統治
106
2
2
25
 内ダンピル海峡
34
26
ニュウギニア
107
3
3
1
27
英インド
13
28
英ナウル
1
1
1
29
バシー海峡
6
30
太平洋
11
31
太平洋西
5
32
太平洋南
10
33
太平洋西南
3
34
太平洋北
3
35
太平洋東
1
36
太平洋南東
1
37
太平洋中部
7
38
太平洋本州南方
12
39
東シナ海
3
40
南シナ海
3
41
黄海
1
42
インド洋
1
43
ソ連
11
7
3
1
11
44
不明
5
1
1
45
南方
2
46
国名不詳 1)
4
1
47
  合    計
940
39
29
6
2
5
2
1
1
1
86
4

元の表はこの各表が横一枚につながったもので、
やはりその方が歴史をリアルに見渡せます。
渋川市立図書館で閲覧できますので、是非もとの本をご覧ください。


 堀口さんが、この本をまとめようと思ったのは、かねてから聞かされていた堀口さんの叔父である堀口茂八郎さんの
戦死がダンピアという地で、いったいそれがどこなのかという疑問から始まったそうです。
 ダンピアまたはダンピールという地は土井全二郎著『ダンピールの海』という本でも知られる、日本の8隻にのぼる
大規模輸送船団が一度にアメリカ軍によって撃沈された海域です。
 輸送増援船団輸送船 8隻、護衛駆逐艦8隻中4隻、全滅兵員乗組員3664名というなかに渋川出身者が34名お
り、そのなかに堀口八郎さんがいたということです。

 「海面に漂流している将兵に加えられた敵機による執拗な機銃掃射は忘れられない」
                               (本書資料 6)



このダンピール海峡の悲劇は、太平洋戦史をふりかえったとき、とても象徴的な惨劇でもあるので、ここでさらに次の
一文を紹介させていただきます。

 昭和18(1943)年3月のダンピール海峡の悲劇と呼ばれた海空戦は、八隻からなる輸送船のすべてが沈められ、乗船していた陸軍の兵士
3500名の大部分が溺死している。しかし、船団の被害はそれだけではなく、前年夏からのガダルカナルでも同じ状況だった。もちろん悲劇はこの
後も続き、日本陸軍の精鋭部隊は戦場に到着する前に大損害を受けてしまう。
 なんとか生き残った兵士たちも、兵器、資材、食料が届かないので、実力を発揮できない。太平洋の島々における戦闘で、日本陸軍が苦戦を強
いられた最大の原因はこの点にある。

 昭和18年という年には、大きな海戦は一つもなかった。航空戦はラバウルを中心に続いていたが、水上艦部隊(特に大型艦)はまったく動いてい
ない。大和、武蔵はもちろん、他の戦艦、巡洋艦も眠っていたといってもよいほどであった。それならニューギニアへの船団のエスコートに出動あて
ればよい、と思うのだが・・・・・・。
 すでに鈍速のため、空母と一緒の行動がとれなくなっていた旧式戦艦(山城、扶桑)は、この任務になら投入可能だった。場合によっては、囮の
役割に使ってもよい。
 当時の戦況を考えると、ダンピール海峡で沈んだ八隻の輸送船とそれに乗っている陸軍部隊の方が、一隻の旧式戦艦よりずっと価値がある。ど
うも海軍の船団エスコートはおざなりであった。

 これに関して陸軍は、海軍を信頼する以外に打つ手が無かった。海軍は最初から最後まで、日露戦争の日本海海戦を夢見ていて、
 ・味方の輸送船団の護衛
 ・敵側の輸送船団への攻撃
 に熱心でなかった。陸軍はその失敗の影響をまともに受けてしまったと言うしかない。

 一方、アメリカ、イギリス軍は、船団エスコートの重要性を十分知っていた。例を挙げれば地中海のマルタ島をめぐる戦いのおり、イギリス海軍は
14隻の輸送船の護衛に、
  航空母艦3隻、戦艦2隻、巡洋艦7隻、駆逐艦24隻、小型護衛艦18隻
 という大戦力を投入している。
 日本海軍が船団の護衛に空母、戦艦を用いたことなど一度としてなかったのではないか。ガダルカナル、ニューギニアへの輸送には海軍の手空
きの艦艇を総動員すべきだった。

 昭和17年の秋以降、日本陸軍は太平洋戦域に限れば、動かせる戦力の3分の1以上を海上で失っているのではないか。アメリカ軍の航空機と
潜水艦は、まさに面白いように日本軍の船を沈めている。もともと数が少なかった戦車や大砲が戦場に届かないとなれば、いかなる兵士の闘志も
まったく役に立たなくなる。この点、海軍の失敗は十分に追求される
べきだろう。

日下公人・三野正洋 『組織の興亡 日本陸軍の教訓』
ワック出版部(2000/05) 定価 本体1,600円+税






 さらに、堀口さんの調査は、様々な軍隊用語から高崎15連隊などにも及び、地元の戦史をたどる貴重な道標となる
ものです。
 群馬といえば高崎15連隊を想像しますが、1932年以降に高崎15連隊で亡くなった人は意外と少なく、太平洋戦争時
期になると、歩兵115連隊、215連隊などその都度編成された部隊へ動員された方が多かったことなどもこの本で知る
ことができます。。

 
 この表にまとめられた渋川の戦死者、940名という数字は、
     太平洋戦没者213万人   (日本国人口7300万人という時代)
       終戦時戦力 陸軍640万人、海軍186万人
 という国の実態の上にあります。

 通常、世界どこでも、兵員に対して、後方の生産者が二倍必要であるという考えからすると、20代から40代までの男
子をいかに根こそぎ動員してもとても追いつかない当時の国力の実態も見えてきます。

 学校の調べ学習などで、この表の一つの年代や地域から、その戦没者をたどるような調査などをしてみたら、とても
興味深いものが見えてくることと思います。







群馬県の(十五年戦争での)

陸軍戦死者 34,447人

海軍戦死者 7,473人

空襲で亡くなった一般市民 1,178人

合計 43,098人


これに終戦後満州で亡くなった一般人多数を入れると、実数は45,000人を越えるだろう

これは実に日露戦争の県内戦死者の約30倍にも達する


                         前澤哲也





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