サイトの全体構造   本乃枝折(検索リンク) 群馬県・郷土出版案内・リンク集  管理人のブログ


かみつけの国 本のテーマ館
「足尾」関連 書籍ガイド
(2013/08/04更新)



貴重な史跡「足尾」を歩く  小滝の里の魅力
どう考えたって「足尾」は群馬県だろう!の乱  歴史考証スケッチ
田中正造関係は、佐江衆一『洪水を歩む』などを軸にして、別にページを設ける予定です





太田貞祐 足尾銅山の社会史
ユーコン企画 (1992/05) 定価 本体2,135円+税

 太田貞祐さんは足尾で何代にもわたって坑夫たちの御霊を読経してこられた龍蔵寺の住職。高校の教職を退職されてから足尾の郷土史家とし
て活躍されてます。
    

太田貞祐 続足尾銅山の社会史
ユーコン企画 (1993/09) 定価 本体2,037円+税

 ある日、著者の寺を遠方より先祖の供養をしたいという篤信の方が訪ねてきた際、明治23年5月中の過去帳を調べた記録が載っています。
 「葬式が30回以上もあるが、古くからの檀家のものは一軒もなく、いずれも他国から足尾銅山に流れてきた鉱夫の関係者ばかりで、幼児以下は
15人おり、それも死体分娩、乳児がほとんどある。今から百年以上前の発展途上の足尾銅山ゴールドラッシュ時代のことなので無理からぬ事情
であろう。さて、5月の鉱夫たち自身の死亡は16人おり年齢をみると19歳1人、20歳代8人(23歳1人、24歳5人、26歳1人、27歳1人)、残り7人
中4人が生年不詳となっているが、おそらく20歳代であったであろう。いずれも、坑内で働いた手掘り坑夫や支柱夫たちであろう。」

 
太田貞祐 足尾と銅山の物語
庚申山 大忍坊 備前楯 横山松三郎 芸能 閉山 松木村その後 など
村田淳事務所 (2004/11) (本には値段の表記がありません)



                       

太田貞祐 足尾銅山 小滝の里
ユーコン企画(1994/07) 定価 本体1,748円+税

    
他にも太田貞祐さんは、唐牛良祐さん、笠原一郎さんと共同編集執筆で
「足尾銅山江戸期の文書集録」(足尾町公民館 1976)
など貴重な資料をまとめられています。





小山矩子 足尾銅山 小滝の里の物語
文芸社(2001/03) 定価 本体1,500円+税
   足尾銅山物語  

関連ページ 小滝の里の魅力





小野崎敏 『足尾銅山物語』
新樹社 定価 本体1,900円+税

芥川や漱石が書いた足尾をめぐる29の物語




太田貞祐  足尾銅山吹所世話役 星野七郎衛門
ユーコン企画 (1996/01) 定価 本体1,553円+税

 足尾銅山吹所世話役とは、江戸期、衰退していた幕府管理下の足尾銅山の復興経営管理をまかされていた役職で、上州水沼村の星野七郎衛
門の他、大戸村の加部安左衛門、白井村の宮下孫兵衛、他に武州児玉郡から3人、計6人がいたらしい。
 本書は、江戸時代から代々水沼村の名主などを勤めた、地方名門の豪農であった星野家に伝わる膨大な資料や文書(星野家当主、杉崎静代
さん整理による)を手がかりに、足尾の最も近くにいて活躍した星野七郎衛門の足跡をたどる。



   
村上安正 『足尾銅山史』
随想舎(2006/03) 定価 本体8,000円+税

村上さんは1931年、東京生まれですが、1945年東京夜間大空襲おきかけに足尾へ移る。
古河鉱業(株)に勤め1986年に定年退職。
経歴からすると、古河鉱業の社史的な内容も想像しがちですが、過去に著者は『足尾銅山労働運動史』も書いており、広い視野で資料収集、調
査を重ねてきています。
本書は著者が古希の歳から4回にわたって書き足した膨大な内容をまとめたもの
随想舎さんの目次掲載サイトを参照ください
http://www.zuisousha.co.jp/book2/4-88748-132-2.htm

村上安正 『足尾銅山史別冊』
随想舎(2006/08) 定価 本体1,000円+税


       




池野亮子 『足尾銅山発見の謎 『治部と内蔵』の真相をもとめて』
随想舎 定価 本体1,500円+税

これまで枕詞のように疑うことなく繰り返されてきた足尾銅山発見の歴史。
専門家たちも「慶長十五年(1610)に備前の国の農民、治部と内蔵によって発見された」という記述を誰も疑わなかった。
著者は、巨大なある五輪塔の存在から、歴史に埋もれた真実を、まるでミステリー小説のように具体的な調査を重ねて、
画期的な事実を導き出しました。
「かみつけの国 本のテーマ館」のノンフィクション大賞をあげたいようなすばらしい本です。






立松和平 恩寵の谷
河出書房新社(2001/06) 定価 本体1,200円+税
  

 明治期足尾銅山の復興期、古河鉱業の誘いに導かれて生野銀山からやってきた、3人の若い坑夫の物語。当時の渡り坑夫の様子や、日清、
日露戦争などの戦争の足音も聞こえだす時期、伝え聞く戦場の悲惨さと坑夫の悲惨な労働の比較の描写も面白い。
 やがて懸命に掘り進んだ彼らはついに無尽蔵の銅の鉱脈を発見するが・・・。
 著者の曽祖父をモデルに、坑夫の生き方、足尾銅山の歴史をいきいきと描く。
 参照ページ貴重な史跡「足尾」を歩く





町民がつづる足尾の百年  第1部・第2部
銅山に生きた人びと「明るい町」編集部
光陽出版社
第1部(2000/05) 定価 本体1,942円+税
第2部(2000/05) 定価 本体1,905円+税
   

足尾銅山とともに生きてきたあらゆる階層の人びとの思い出や証言が語られています。
 本書第2部によってはじめて坑内運搬夫や支柱夫、様々な技術者たちの厳しく危険な死と隣り合わせの労働の実態を知ることができました。に
もかかわらず、そこで働く人びとの目は現代の労働者に比べると、活き活きと輝いていたようにみえてなりません。
 足尾町を支えた人々の話のなかにこんな傑作話もありました。
 女性電信士として活躍していた生方喜久子さんのはなしです。
「転勤してきた足尾局から電報を送る回線は、足尾−日光−宇都宮−東京で、この4局へ電報を送るには一定の信号をすれば直接その局が出ま
す。それ以外の都市へは宇都宮や東京を経て送るのです。そんな関係で、その局の人たちとは電信機器を通して、人間的な交流も深められまし
た。そこの人たちは技術もすぐれていました。
 ある時、【・−・・・・・−・・−・−−−】(この表記は正確でありません)という信号が入りました。電文とは関係のない信号なので、上司に相談し
たところ大笑いされました。考えてみれば、電文は「ヘボカワレ」です。恥かしいやら、悔しいやらで言葉もでませんでした。」
 

  
村上安正 『足尾に生きたひとびと 語りつぐ民衆の歴史』
随想舎(1990/05) 定価 本体1,800円+税




足尾を語る会 会報

会報編集委員会 足尾を語る会 発行  発行人 三浦佐久子

                発刊に際して

日光の帰りにちょっと立ち寄って・・・・。国道122号線を通りすがりに、何気なく立ち寄って・・・というだけで虜になり抜きさしならなくなるのです。閉
山を迎えてすでに17年が経ち、いにしえの銅山繁栄のおもかげもなく、まさにゴーストタウンと化し、異様な風景を置き去りにしたまま、寂れるいっ
ぽうの過疎のヤマの町なのです。そんなところなのに、何故、足尾はひとたび虜になった人々を、魔法にでもかかったようにのめり込ませるのでし
ょうか。一度訪ねるとわかりますが、不思議な心の安らぎを覚え、もう一方でたまらなく悲痛な気持ちに襲われます。それでも再び訪れずにはいら
れないという気掛かりな気持ちに駆られるのです。人間の気持ちというものが摩訶不思議なのか、銅山で働いて報われずに死んでいった坑夫たち
の精霊に、呼び寄せられるとでもいうのか分かりませんが、「足尾を語る会」に集う人たちの、はからずも一致した感慨でした。
            (略)
(「足尾を語る会」の)メンバーは足尾に憑かれてシャッターを切りつづける渡辺義雄門下の写真家で印刷屋の社長、元警察官で故杉山吉良の愛
弟子だったという人、閉山のかなり前から足尾を撮り続けている三木淳門下の写真家、N研究所の俳人の専務さん、専門学校の講師、元電気工
学が専門の大学教授、卒論のテーマに足尾鉱毒を取り上げて以来20年足尾研究に取り組む面々、コンピューターメーカーのエンジニアさん、金属
鉱山研究会の会長さん、それに小滝坑で支柱夫として実際に働いていた人、女流歌人等々、多士済々それぞれ独自の眼で足尾を凝視されてき
た凄い面々です。

                          創刊号の三浦佐久子さんの文より抜粋



足尾を語る会 会報別冊
2006年版 足尾を語る会通信縮刷版 No.1〜No.34号 
―1990年4月〜1998年9月―
会報編集委員会 足尾を語る会 発行  発行人 三浦佐久子







三浦佐久子 足尾万華鏡 銅山町を彩った暮らしと文化
随想舎 (2004/09) 定価 本体1,800円+税

 足尾に関わる多くは「足尾鉱毒事件」と「田中正造」がテーマだった。銅山も含めた足尾の歴史や文化、つまりそこに生きた人々の姿に触れたも
のは少ない。我々の「足尾を語る会」は足尾の古い歴史や文化を中心に勉強しようということからはじめた。毎年テーマを決めて調べていくうち、ま
るで万華鏡を覗くような楽しみを発見したのだった。(本文より)
 という著者のスタンスは、そのままこのホームページの視点でもあり、共感できる待望の1冊が刊行されてとてもうれしいばかりです。
 自分の足で調べ、そこに生きた人びとを描くには、著者の眼差しがどのようなものであるかが如実に表れるものです。八ツ場ダムを取材した鈴木
郁子さん『八ツ場ダム』明石書店と日航機123便事故の遺族でもある池田知可恵さんの『雪解けの尾根』ほおずき書籍とともに、本書は当サイト
ベストスリーにあげられる本です。
 主要目次
  ・幻、鉱山の町の旅籠のこと−足尾千軒といわれた頃の足尾の宿
  ・鉱山のマーケット「三葉会」のこと−足尾の小売店のルーツは行商から
  ・未完成の魅力−珪肺で逝った名もなき足尾焼きの始祖
  ・銅(あかがね)の道を歩く−利根川めざし馬で運ばれた足尾の銅
  ・足尾銅山のフランス料理−明治に花開いた鉱山町の食文化
  ・鉱山町の交通・運搬今昔−鉄索夫三十年、稲妻の光が鉄索を走る
  ・江戸の長屋・鉱山の長屋人情こぼれ話−足尾銅山の社宅・坑夫長屋のこと
  ・足尾をめぐる峠・峠−峠を越えて自然いっぱいの谷底の町へ
  ・銅山の祭礼イベント・山神祭のこと−銅山の神聖な五娯楽文化
  ・鉱毒地の詩−明治の婦人記者・松本英子の悲涙
  ・足尾銅山の花街のこと−寿家見番の雪松という女
  ・足尾の水源林を蘇生させた男ー煙害被害地の植林作業は続く
  ・チョン髷と水の思想−古河市兵衛と田中正造
  ・川だって生きている−故郷の川「箒川」の思い出
  ・江南の水のほとり−中国を訪ねて渡良瀬川を想う
  ・イギリス産業革命の片鱗を覗く−ヨークシャー地方の炭坑跡へ
    
三浦佐久子 『壷中の天地を求めて−足尾銅山 ・・・見捨てられたヤマの町に生きる人々』
下野新聞社(1988/12) 定価 本体1,700円+税

 本書は、足尾焼きに挑んだ郡司敏夫を取材した本で、「未完成の魅力」に着目した著者の着眼点のすばらしさは、本書『足尾万華鏡』からもうか
がえます。是非読んでみたい本なのですが、まだ見ていません。





なぜ、今、足尾か 市民塾<足尾>講演記録集
市民塾<足尾>編集
下野新聞社 (1983/06) 定価 1,200円 品切れ

こういう本も栃木県の図書館にいけばどこにも揃っているのでしょうか。私にとってはお宝本。以下に論文名、著者のみ転記します。
「なぜ、今、足尾か」猪瀬建造/「足尾銅山史」上邑 康/「外国人強制連行と碑」猪瀬建造/「足尾銅山労組の奇跡」蘇原松次郎/「足尾から
の教訓」宇井 純/「足尾暴動」二村一夫/「古河財閥史」武田晴人/「いまだ残る鉱毒被害」長瀬欣男/「田中正造・闘いの思想」東海林吉郎
/「再び、なぜ、今、足尾か」猪瀬建造/「足尾の山・栃木の水」宇井 純/「父祖の地〈足尾〉を語る」立松和平/「銅山の技術史と近代日本」上
邑 康/「水俣からの報告」川本輝夫/「田中正造・晩年の闘い」布川 了/「谷中の遺跡を守る」岩崎正三郎/「当面する鉱毒根絶の諸問題」板
橋明治/「銅山王・古河市兵衛」佐江衆一/「アメリカに渡った『鉱毒地』」田村紀雄



    
  
銅山の町 足尾を歩く ―足尾の産業遺産を訪ねて―
村上安正 著 神山勝三・写真
随想舎 (1998/11) 定価 本体1,500円+税

 足尾を訪ねるひとにとっては最も頼りになる唯一の本。産業遺跡の類は、なかなか市販の地図や観光ガイドだけではたどり着けないところも多
い。もっとも、足尾の場合は産業遺跡こそ町の文化遺産でもあるので、他所に比べれば探しやすいほうかもしれませんが、古河財閥に対するスタ
ンス如何で見えるものが全く異なってくるのが面白い。



     

新井常雄版 足尾銅山写真帖
写真 新井常雄 解説 村上安正
随想舎(2001/06) 定価 本体2,400円+税

 新井常雄版としてあるのは、最初の『足尾銅山写真帖』は、明治19年に古河市兵衛の依頼で小野崎蔵吉という写真師に撮らせたものがあるか
らだそうで、小野崎は当時足尾銅山関係の写真を、絵葉書を含めて一手に引き受けていたという。
 江崎礼二『足尾銅山写真帳』上・下 
 小野崎一徳『足尾銅山写真帳』(1895)は、2006年に新樹社から復刊されました。


                    

 新井常雄さんは足尾在住のアマチュア写真家で、昭和15年頃から写真をはじめ、閉山の年の昭和48年まで在職し、写真を撮り続けたもの。
 私はこの写真集ではじめて、足尾銅山の坑道図をみました。
 他に新井さんは足尾公民館の刊行で、1977年に『足尾のアルバム』を出しているようで、閉山直前の貴重な写真が収められているという。
   


神山勝三 『フォト・ドキュメント足尾銅山1969〜1988』
築地書館(2000) 定価 本体3,690円+税

神山勝三 『渡良瀬の風土』
随想舎


『藍の時代 −足尾と私の13年−』
橋本康夫写真集 足尾研究会(1989/02)

『どうらく』
左 晃 写真集 私家版(1981/11)


  

立松和平 写真・東京新聞写真部 フォトエッセー渡良瀬有情
東京新聞出版局 (1992/07) 定価 本体1,942円+税

 足尾に関心のある人にとって、これほどすばらしい本はないといっても過言ではないでしょう。
 東京新聞の夕刊に連載された企画をまとめた本ですが、またしても立松和平にいい仕事をしてもらった感じの本。
 ほとんどの本が足尾周辺か渡良瀬遊水地周辺のどちらかに別れてしまっているところ、ようやく双方にまたがり、しかも歴史、生活、自然まで包
括的に、みごとな写真とともに渡良瀬川についてまとめあげられています。
 備前楯山中腹の賽子橋堆積場や鉱毒の処理が行なわれている中才浄水場は、本書の上空からの写真ではじめてその不気味な姿を知ることが
できました。

 東京新聞社写真部では、本書に対応した渡良瀬有情写真の美しいホームページも開設しています。「渡良瀬有情」で検索してみてください。

   




檜谷俊樹 写真集 『あかがね街道 ―足尾銅山街道の面影―』
定価 本体2,300円+税  自費出版?

詩情あふれる美しい写真集です。





斎藤利江 写真 『写真集 足尾線の詩 思い出のSLと子供たち』
あかぎ出版 (2001年3月) 定価 本体1,800円+税


    

広瀬武 著 渡良瀬川の水運  
ずいそうしゃ新書(1995)


       

足尾郷土誌
足尾町郷土誌編集委員会 (1983/08) 非売品

町が作成した足尾郷土誌は明治以来数回刊行されているようですが、回を重ねているわりには、どれも改訂版程度の進歩しかしていないように
みえる。それでも貴重な資料。


東村村誌編纂室編
東村のあかがね街道
東村 (1998)刊行




         

『名山 足尾』
新田書店 大正十三年 十月 
海軍中将 佐藤鉄太郎、陸軍中将 権藤伝二、下野新聞社長 藤平謹一郎、下野新聞編集長 川村直成ら
錚々たるメンバーによる題字
賜台覧 竹田宮恒徳王、北白川宮永久王、山階宮茂麿王

足尾銅山の沿革から地質や歴史、足尾町の沿革、名所、旧跡、名物まで網羅した貴重な古書











高桑信一 古道巡礼
東京新聞出版局 (2005/01) 定価 本体2000円+税

 これぞフィールドワークの決定版。

1、八十里越−会津と越後を結んだ歴史の街道  2、津軽白神 3、仙北街道−古代東北の謎を秘めた千年の道  4、越後下田の砥石街道−
信仰と産業が交錯した山岳世界  5、足尾根利山の索道−首都圏の水瓶に残された文明の残骸  7、会津中街道−白湯信仰の陰に隠れた
不運な峠道 8、黒部川、日電歩道  9、松次郎ゼンマイ道  10、北海道、増毛山道  11、米沢街道、大峠  12、熊野古道、小辺路  1
3、鈴鹿、千草越え
14、八十里越の裏街道−古道の織りなす原郷の風景

 雑誌「岳人」連載時に、足尾銅山の木材供給地として栄えた根利山や砥沢という集落の取材で注目され、一部の人たちの間で単行本化が待た
れた待望の一冊。砥沢という地は山奥の集落でありながら、木材伐採の一大拠点として栄え、索道でつながれたその地には県北部の町よりも早
く新聞が届いたという。
 今では沢登などをする人のみが、その集落の名残りを見ることができる。
 全国の古道踏破記録の14章のうちのひとつで「足尾根利山の索道」を紹介しています。


他に足尾銅山街道に関する資料として、群馬県教育委員会による「群馬県歴史の道調査報告書 第1集 足尾銅山街道」があります。
国土地理院の地形図に旧状をとどめている道路、旧状が失われている道路が詳細にしるされ、沿線の史跡も網羅されています。






永野芳宣 小説 古河市兵衛 古河グループを興した明治の一大工業家
中央公論社 (2003/03) 定価 本体1,600円+税

 古河市兵衛は、鉱毒事件の張本人としての立場から、歴史上の悪人の立場ばかりに見られがちですが、創業者市兵衛の存在は、とてもそうし
た一方的な見方でのみ語れるものではない。
 古河市兵衛は、明治12傑のひとりに選ばれているばかりでなく、伊藤博文、山県有朋、大隈重信、渋澤栄一、福沢諭吉らをおさえて、そのトッ
プの人気を得ている。またその職業意識においても抜きん出ているばかりでなく、人物、私生活ともに傑出したものをもっていた。
 市兵衛は、44歳で薩長閥の策略などもあり、それまで築きあげた小野組が倒産し、無一文になる。足尾銅山の事業を興すのはそれからの話で
ある。
 本書は、薩長閥にとらわれない独立自尊の道を切り開く三本の矢として、陸奥宗光、渋澤栄一、古河市兵衛の生涯にわたる交友を軸に、明治
期の殖産興業経緯も描き出している。
 ひときわ市兵衛の評価を上げたのは、明治30年、被害者側からは遅くみえたかもしれないが、政府から出された「鉱毒予防工事命令」であっ
た。その工事は
「命令日から7日以内に開始し、工事の大小により場所ごとに完成期限が指定されている。最短の場所は、30日以内、その他50日以内、60日
以内、80日以内などと指定し、最長は本口坑にある精錬所の高さ264メートルにも及ぶ煙突の120日というものであった。」
 その総工費は足尾銅山の年間生産額の二倍に匹敵するものであったが、市兵衛は、期限前にそれを成し遂げた。
 近代化を急ぐ時代の最先端にあって、それに伴い発生する負の遺産をすべて受けてたつ姿勢を市兵衛は、もっていたともいえるのではなかろう
か。市兵衛と田中正造が、もし直接膝を交えて話し合う機会があったならば、鉱毒問題ももっと別な解決が可能であったかもしれない。

 (足尾)暴動事件いついての宇都宮裁判の経過のなかで、石川宇吉という巡査が、古河市兵衛が存命中は坑夫に対しての待遇が大変良かっ
たが、亡くなった後は非常に悪くなったという具体例を、次のように述べているのは興味深いことです。
「@坑内から朽ちた細木を持ち出しても罰金。A役員の採用に偏りが生じた。B1ヶ月に1日欠勤しただけで米1升5合減。市兵衛存命中は2,3日
休んでも制裁なし。C1日6時間労働が8時間となる。D1ヶ月に二日有った公休を廃止。E休むと賞与が零。F正月とお祭の酒肴料の廃止」とあ
ります。
                        『町民がつづる足尾の百年 第2部』 光陽出版 より
 
     

運鈍根の男 古河市兵衛の生涯
砂川幸雄 晶文社(2001)


 著者は、本書の後、『直訴は必要だったか』勉誠出版(2004/10)で「鉱毒予防工事命令」をやり遂げた古河側に対して、田中正造が天皇直訴
までする必要があったのかを問う論点を展開しています。
 歴史の評価は、古河市兵衛に対しても、孤高の田中正造に対してもまだまだ迫りきれていないのを感じます。
  
 

古河鉱業五日会編
古河市兵衛翁伝




猪瀬建造 増補改訂版 痛恨の山河 足尾銅山中国人強制連行の記録
随想舎(1994/07) 定価 本体2,500円+税

占領下で日本国民扱いであった朝鮮人に比べて敵国である中国人に対する扱いは過酷を極めた。
強制連行された中国人労働者への鎮魂の書。

     


鎌田忠良 棄民化の現在
大和書房 (1975/12)定価 1,500円+税 絶版

 第1章 隠された死滅の村へ −足尾銅山松木村
 第2章 出稼ぎ半島の村へ −下北半島脇野沢村
 第3章 孤絶者の沈黙へ

 足尾鉱毒問題というと谷中村にばかり目がいきがちですが、足尾町の松木村のことは、資料が少ないばかりに忘れられがちである。その点、本書は貴重であり、とりわけ
ただひとり松木村に残り続けた星野金次郎さんとその息子の金平さんのへの本書のような取材が残っていることはうれしい限り。
「松木村−銅山製煉所から約3キロのぼった奥地で、38戸がひっそりと肩を寄せ合う小集落だった。村は明治35年、馬が死に、幼児が早死し、腐食した土に指をさせばブスリと突きささるという惨状をきわめて、廃村を強いられた。以後古河は、廃村は煙毒のためではない、大山火事(明治20年)による荒廃が主因と説明し、つい最近までそれを押しとおしてきたのだた。旧谷中村の強制破壊に5年さきだったこの廃村はそれとまったく対照的に古河一企業の手で破壊買収され、そのあとほぼ70年の歳月を腐蝕をかさねてきたのである。
 死滅した山々の隠された原因を集中的に体現するのが、この松木村とかんがえていい。そして、私の第一歩もまた、この死滅の村にわけ入ることからはじめなければならない。                            (本書15ページ)



村串仁三郎 日本の伝統的労使関係
世界書院 (1989/08) 定価 本体6,800円+税
 これも足尾関連で重要な本なのに、タイトルだけからは想像つかないばかりに見落とされがちな本。表紙をめくると扉にのみ副題が「友子制度史の研究」と書いてある。

 日本の鉱山業に「友子」という独特の鉱夫の仲間組織があり、それは単なる互助的な共済組織ではないと著者は説く。

 「友子が日本の歴史において特異な存在だったというのは、徳川時代の古い鉱山に形成された仲間組織が、明治維新の大変革を経て、近代化されていく鉱山業において、前近代的なものとして排撃されたり、消滅させられたりすることなく、むしろ鉱山業の近代化の過程で、鉱山業の発達とともに著しい発達をみせ、しかも、大正期、昭和初年代の一層の近代化の課程においても残存していた、ということにある。」

 同じ著者で、1998年に同版元からよりコンパクトなサイズで、『日本の鉱夫 友子制度の歴史』というタイトルが出ているようですが、本書とどうちがうのか、まだ現品を見ていないのでわかりません。

 

 立松和平『恩寵の谷』のなかに生野から足尾に渡ってくる若い鉱夫が、「友子」のしきたりに則って仁義の切りかたを一生懸命練習するくだりがあります。

 また余談ですが「仁義を切る」といえば博徒の渡世上の作法で、博徒、ヤクザの独占みたいに思い込まれていますが、これは違うということを山内種俊『上州の旧街道いま・むかし』という本で知りました。
「これは禅宗の行脚僧から来たともいわれ、雲水が旅先の寺に投宿する際、この自己紹介を淀みなくいわなければならなかった。すなわち気合いのテストで、ちょっとでもまごつけば宿泊を断られた。それをパスして一宿一飯にありつけたのがそのままヤクザの世界へ移ったといわれる。
 また、昔は読み書きができるのは坊さん・名主か村役人ぐらいで、職人・農民は文盲が普通。そこで仁義は、文字を知らぬ職人たちが考え出したいわば‘生活の知恵’。同職の門を叩いて自己紹介をする口で"仁義を切る”ことは履歴書か名刺代わりで、職人など働くものすべての世界で行なわれていた。それを今日では、博徒が伝承しているにすぎない。」




二村一夫 足尾暴動の史的分析 鉱山労働者の社会史
東京大学出版会 (1988/05) 定価 本体5,400円
まさにそれは「暴動」となってしまった事件でした。
ところが、その実態は常に善玉悪玉的な歴史観で捉えられがちであるところ、本書では、個々の会社の経営状況、鉱山労働者の実態、永岡鶴蔵などの組織者たちの行動などひとつひとつ史実を詳細に調べ上げながら事件の全体像を解明していく。

 鉱山労働者の実態について次のような記録がある。
 1905年中の業務上の死者は28人、負傷者は1712人。死亡者の原因で最も多いのは〈誤ッテ竪坑又ハ坑井ニ転落〉が最も多い。また飯場などの環境も劣悪を極めていた。一方、鉱山が活況を呈するとともに、鉱夫の賃金も他所に比べると高い水準であったことなどを含めて個々の条件を見極めなければならない。



『足尾銅山労働運動史』という古書価格2万円くらいで出回っている本があるのですが、これはまだ手に入りません。
足尾関連の本を紹介していながらこの本を手にしていないなど、モグリではないかと言われても返す言葉のないほど重要な本なのですが、ネットなどでみつけて高い値段のものなのでいつでもすぐ買えるわけではなく、たまに安く見つかったとおもったらタッチの差で買いのがしたりで、私にとって因縁の本になりつつある。



高崎連隊小史 明治四十年二月十九日
足尾派遣大隊詳報
渡良瀬川鉱毒根絶毛里田期成同盟会

 本書は、足尾派遣大隊長 吉野有武が第一師団長閑院宮載仁親王にあてた報告文書の3枚複写のうちの最後の一枚と思われるものが、奇跡的に毛里田村の一農民によって秘蔵されていたものを復刊したものらしいです。報告書類のやり取りのなかに当時の緊張した雰囲気が伝わってくる。

 1907年2月6日、暴動は既に地元警察官の手には負えないものになっており、中山栃木県知事は県下の警官を総動員して足尾に派遣するよう手配していたが、現場の責任者が警察力では如何ともし難いことを知り、内務大臣らと急遽連絡をとり、午後1時前後、第一師団長あて正式に出兵を要請した。
 吉野少佐を大隊長とする3個中隊300名が編成を終え、高崎駅を発し、大宮経由で日光に向ったのは6日午後11時。毛布、背嚢などを背後に残し、軽装で足尾に到着したのは7日午後1時20分から3時にかけてであった。高崎駅を出てから13時間半後のことである。
 ところが実際は、軍隊が到着した時点で〈暴徒〉はもういなかった。

 私は当初、高崎から渡良瀬川沿いに足尾までの行軍をおこなったものとばかり思っていました。まさかこの時すでに鉄道がそれほどまで開通しているとは知りませんでした。



中冨兵衛 永岡鶴蔵伝 ―犠牲と献身の生涯―
御茶の水書房 (1977/08) 定価 5,000円
 南助松とともに足尾暴動の指導者として語られる永岡鶴蔵ですが、ともに暴動の指導者とはいいがたい。
 足尾暴動の実態は指導者なき暴動といった表現の方がふさわしい。
 しかし、鶴蔵の足跡は足尾にとどまることなく、「自らの中から生み出した労働運動の指導者」としてその歴史に特筆すべき跡を残していることは疑いない事実である。
 本書はその鶴蔵の特異な存在を、丁寧に検証している。


永岡鶴蔵自伝『抗夫の生涯』という本がありますが、法政大学大原社研のホームページでみることができます。


『生きる証明−石山寅吉伝− 足尾編』
林功郎 著
落合書店(昭和63年) 定価 2,000円


『林小太郎− 日本労働運動の先駆け「足尾暴動」の指導者
大森良治
随想舎 (2002/12) 定価 本体1,800円+税



大鹿 卓 渡良瀬川
講談社(1979/12) 絶版
 待望の文庫化



太田貞祐 足尾銅山俳壇史

ユーコン企画 (1997/10) 定価 本体2,300円+税


澤田貞治 『歌集 閉山の町 足尾銅山』
生活ジャーナル(2001/12)

斉藤すみ子 『あかがねの空』(歌集)
雁書館(2000/07)



秋山智英 森よ、よみがえれ 足尾銅山の教訓と緑化作戦

農山漁村文化協会 (1990/04) 定価 本体2,233円+税
     

『足尾の緑 Vol.1(2003)』
足尾に緑を育てる会
随想舎 (2003/08) 定価 本体1,000円+税

 かつてこの世の光景とは思えないほどの赤茶けた山々は、もうかつての姿を想像することができないほどまで長年の努力の成果も実りつつあり、かなりの緑化が進んでいます。
 その中心人物として造林師である赤間光三郎さんの存在を忘れることはできませんが、この足尾の地で緑化成功すれば、一度公害などで破壊された自然を回復させた例として、世界に発信することができると、作家立松和平さんや毎日新聞の岸井成格さんらは主張しています。

 緑が完全に消え果た山の姿は、決して銅山であれば必然の現象ではなく、しばしば坑夫の行き来のあった和歌山の飯盛鉱山などは、山々は緑に覆われており、敗戦後食糧難の時期などは、「飯盛鉱山に行くと、段々畑だけど畑も借りられ農業ができるぞ」と渡っていくものもあった。
 関西では精錬所が鉱山とは離れた場所にあったため、同じ銅山でもまったく違った姿をとっていた。



岡田敏夫 足尾山塊の山

白山書房(1988/07)絶版 定価 2,000円
 この著者の主要著作はすべて絶版になってしまっていますが、上信越、日光、那須方面の登山ガイドブックはこの人によって編さんされたものが多い。
 本書後半部分は「足尾山塊の歴史と自然」と題する章で登山史、地質、動植物、足尾町史跡散歩など周辺の歴史、環境を幅広く解説しています。
 なかでも庚申山の登山史は、他に資料があまりないだけに貴重なものになっており、主に三度の歴史的重要な契機を紹介しています。
 その第一は、勝道上人(天平七〔735〕年下野国生れ)による開山で、上人は、765年から翌年にかけて男体山に登ることを念願したが果たせず、同年庚申山に猿田彦の神霊を奉祀したと伝えられる。勝道上人はのち、妙義、赤城、榛名、武尊山など関東一円の山々で厳しい山岳修験をつみ、上州の山々の開山に大きな足跡を残している。
 第二の契機は、江戸中期、かの有名な滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』によるもので、「赤岩庚申山」という項に犬村大角という人物が登場する。大角は下野郡赤岩村の郷士一角武遠の一子ということになっているが、じつは一角は庚申山に住んでい神通力を得た化猫に食い殺され、一角に化けた化猫に息子の大角は17年間も仕えてきた。ここに犬飼現八が八犬士の仲間を求めて通りかかり、一角を妖怪と見破って退治し、犬村大角と巡り会うという筋書きである。
 またこの頃、庶民の間に庚申講が盛んになったことも、庚申山の信仰登山を隆盛にした契機となった。
「庚申とは十干の庚と十二支の申が結びついた60年に1回廻ってくる年や日のことをいう。三説という中国の道教の思想があり、人間の体内に三という虫がいて、庚申の日の夜毎に人が眠っている間に、その虫が天に昇ってその人の罪過を報告し、天帝はそれを聞いてその人の死を早める、という。この教えを守り長生きを願うというのが庚申信仰で、守庚申といって、日待、月待など、色々な形で行なわれるものらしい。」
 第三の契機は明治時代の悲劇的な事件によるもので、大忍坊と雲井竜雄の「政府大官暗殺未遂」である。
 「大忍坊は元常陸の郷士であったが、訳あって日光山・輪王寺の僧となり、後、足尾郷赤倉・竜蔵寺の住持となって庚申山に籠って断食行を行なっていたが、たまたま旅先で米沢の藩士雲井竜雄と知り合って政局を談じ、意気投合して明治新政府打倒を企てる。庚申山の社務所で密議をこらし、全国の同志を総決起させる秘策を練ったが、事前に疑われて捕えられ、雲井はさらし首、大忍坊他10名は斬首刑となったという。このため庚申山へ登る人が急激に減り、以後信仰登山はほとんど影をひそめてしまったという。」








直接足尾銅山とはかかわりありませんが、常に国策と一体であった銅山開発。
大仏建立とともに奈良の都が造成されていく様子を、地方から駆り出される職人や民衆の姿を通じて
いきいきと描く帚木蓬生の異色傑作!




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