第五テーマ館 根源から「お金」を問う エンデの遺言
今の世の中をみて、単純な足し算でどうも理解できないことがあります。
大雑把に人生80年と考えて、そのうち初めの20年(人生の4分の1)は養育・教育期間、最後の60歳くらいからの約20
年(人生の4分の1)は定年後の期間とすると、社会的な生産労働に従事している期間は20歳ころから60歳ころまでの、 生涯の半分程度しかないことになる。
さらに、実質半分くらいしかいない生産労働世代の人口の中身をみれば、専業主婦、一定比率の失業者や病人など
の生産労働に従事していない人口比率はかなりあります。
そればかりか、その少ない労働人口の労働時間も、生活時間全体からみれば睡眠時間を除くと、意識的活動時間の
うち休日などを加味したら、これまた3分の1くらいになっている。
加えて、社会的なサービス部門ともいえる軍隊や教員、公共サービス部門の公務員などを考えると、純粋な生産的
労働(これに公務員を含めないのは無理があるか?)として社会を担っている人口は、少子化傾向などの世代別 人口比率などを加味したら、全人口の3分の1以下になってしまっているのではないでしょうか。
日本国全人口3分の1以下しかいない生産者人口の働いている労働時間は、1年の総時間の20%くらい。
そんなに人類の生産性は進歩していたのだろうか。
現在の福祉政策云々よりも、根本的に生産者人口比率がとても少ないことが、社会構造としてあらゆる面で無理をき
たしているとは考えられないでしょうか。
私がここでいう、生産者人口の減少とは、今よく言われている少子高齢化社会によるものではなく、現在の総人口の
なかでの生産労働に従事する人口の実質的内訳のことです。
労働時間の短縮自体はとても良いことだと思いますが、現代では生産人口の偏りが極端になりすぎていると思いま
す。
しかも、ここ一世紀あまりの間に、世界の生産者人口の構成内訳が、かつて労働といえば、家族労働が圧倒的主流
であった(今でも世界人口比率からみれば主流)のが、急速に家族や地域的結合の制約から解放された被雇用者(サ ラリーマン)、賃金労働者として働く人たちが増えています。
このことは、同時に働くものと働かないものの分化、働けるものと働けないものの分化、働く時間と働かない時間の分
化を世界中で急速に極端なかたちで推し進めてきたともいえます。
家族労働(個人事業や中小零細企業も含む)比率が下がること=より大きな組織で生産活動を行なうことが生産性
の向上に無条件に結びつくと考えられた時代が長く続いてきましたが、今ようやくそうした考えが見直されはじめてきた のではないかと思います。
家族労働を主体とした生産構造の社会こそ、これからの時代では不況や環境変化により強い健全な社会を築きうるものであるということについ
ては、別にページを設ける予定です。
本書は、大げさに評価すれば、M・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の続編に位置するともいえるような、資本
主義の社会分析をした本で、タイトルイメージなどから想像つかないのが残念な本です。
日本に保守的風土が残っているとはいっても、世界中で家族的血縁を越えた組織づくりが発展したのは、アメリカと養子縁組という考えのある日
本のみであるとして、資本主義的企業組織の発展した要因を分析しています。
テクノロジーの進歩と同時に、世界経済の均質化が急速に進んでくると、簡単に儲けることがどんどん難しい世の中
になってきます。
そうした時代に目先の話だけでなく、20年、30年といったスパンで安心して働き、暮らしていける世の中とはどのような
社会なのでしょうか。
ここに属していれば大丈夫、などといった考えでは既に安心していられない世の中になっています。
それには、どんな会社にいようが、どのような職業についていようが、名刺や肩書きにとらわれることなく自分が社会
に対して何ができるのか見極めることが、とても重要な時代になってきました。
このことは、いきなり年収300万なり500万に相当する能力として考えてしまうと難しくなってしまいます。
会社の中にいると、単純にひとつの能力だけで賃金をもらっている例は、むしろ稀で、特定の従事している業務内容
があったとしても、合間に行なっている掃除や従業員同士のコミュニケーションや事務作業など、様々な組織環境を維 持するのに必要な雑務を含めて、なくてはならない仕事を分担しあっているといえます。
そうした意味でも、今の職場を辞めて独立して、いきなり純利益で今の給料に匹敵する収入を得ることは簡単なこと
ではありません。
ここで大事なのは、どんな職場にいようが、どのような仕事をしていようが、自分に何ができるのか、その職場に対し
て、お客に対して、社会に対して何をしてあげげられるのかをしっかりと見極めることです。
目先の収入を急ぐと得てして自分が何ができるかよりも、何になら、どこになら参加できるかになってしまいます。
それに対して、自分が何ができるかを優先して考えていくと、収入にはすぐに結びつかなくても、必ず「人のご縁」とい
うものがついてきます。
これもたしか斉藤一人さんがどこかで言っていたことだと思いますが、「他人から何かを頼まれるというのは、神様の言葉である」というようなこと
を聞きました。
よく人から突然、なにかを頼まれると「それは自分の専門じゃないから」とか「それは自分は得意なことでない」とか「今は忙しいから」とかいって
断ってしまうことがあります。
しかし、そのときこそ、それが自分の専門でなくても、自分の得意なことでなくても、自分が忙しくても、それをやってあげることができると、そのひ
との運命は急に開けてくるのです。
それは、まず第一に、多くの場合は頼む側も、そのことがあなたの専門や得意分野でないことを知った上でお願いしているからで、なによりもあ
なたが他の誰でもなく、その時点で「選ばれた存在」であることに気づかなければなりません。
さらに、その頼まれたことをやり遂げることによって、自分の潜在能力をはじめて形にするチャンスが与えられたということです。
これこそ、やはり「神様の言葉」でしょう。
この、人からなにか頼まれるような「ご縁」こそ、生きていくうえで、働くうえで、最高の、その人固有の財産であること
を忘れてはなりません。
ただ、それだけでは食ってはいけないという眼前の現実が、この根本原理から、つい私たちを遠ざけてしまうのです。
この根本原理にもう一度立ち返って、その人固有の財産を育てて、社会で通用する「商品」にまでその人の能力
を磨き上げる作業こそが、なによりも基本でなければなりません。
誰にとっても必要なその方法が、遠回りをしてようやく見えてきたのが今の時代です。
見えてきたというよりは、社会全体が低成長の時代になり、形式にとらわれず、実質的なものを要求するようになって
きた背景があり、どうしても肩書きや名前だけの力では通用しなくなってきたということもあります。
しばらく前のベンチャーブームは、こうした時代背景から大きな期待を受けて現われた現象でしたが、ハイリスク・ハイ
リターンというハードルの高さと、IT技術と利益の関係を見誤ったことなどから、次の契機を育てる前に、萎んでしまい ました。
ところがようやく、情報技術革新とともに、次の契機が今、見え出してきたといえます。
それは、資本主義の市場競争社会といえば、ハイリスク・ハイリターンこそが市場法則とばかりに競い合ってきたので
すが、ハイリスク・ハイリターンのビジネスばかりでなく、その裾野にはミドルリスク・ミドルリターン、ローリスク・ローリタ ンの膨大な多様なビジネスモデルがあってしかるべきであるというあたりまえのことが、見直されてきたことです。
今、私たちが経済を語るとき、あまりにも金融資本主義に引っ張られすぎています。
確かに取引額からみれば、投機的金融資本主義真っ盛りの時代ですが、経済の実態からみれば、今でも世界中の
経済は生業としての様々な労働の姿が実態を担っていることに変わりはありません。
その圧倒的多数の人びとは、大儲けを夢見ることよりも、家族が食べていけることが基本の生活=労働の社会で
す。
アメリカの真似をして、学校教育に株の勉強を取り入れることが経済に対する理解を深める優先課題とは思えませ
ん。
世界レベルでの投機的利益の追求が、どれだけ地元で生活しているこうした人びとの職を奪い取ってきたことでしょう
か。
否、企業活動が発展してこそ、より多くの雇用を生んできているではないかというかもしれませんが、歴史が指し示す
数字はそうはなっていません。
ここで真に求められているのは、きっかけは何であれ、一度破戒されてしまった地域経済を、他所から誘致した企業
などに依存することなく、行政の補助金などにも頼ることなく、そこに住んでいる人々自身の力で再生することであり、そ のために何よりも求められるのが、創業力、起業力なのです。
さらに、もっと手っ取り早いのが、今そこにあるつぶれかかった産業や商店の経営革新(イノベーション)なのです。
あえて誤解を恐れずに引用しますが、二宮尊徳が疲弊しきったある村の再建を小田原藩主から依託され、詳細に村
の実態の調査を重ねてたときに提出した報告書の話があります。
尊徳が小田原藩主に提出した報告書は、きわめて悲観的でした。ただ、全然見込みがないわけでもありませんでし
た。
「仁術さへ施せば、この貧しい人々に平和で豊かな暮らしを取り戻すことができます」
と尊徳は報告のなかで述べました。
「金銭を下付したり、税を免除する方法では、この困窮を救えないでしょう。まことに救済する秘訣は、彼らに与える金
銭的援助をことごとく断ち切ることです。かような援助は、貪欲と怠け癖を引き起こし、しばしば人々の間に争いを起こ すもとです。荒地は荒地自身のもつ資力によって開発されなければならず、貧困は自力で立ち直らせなくてはな りません。
殿には、この痩せた地域からは相応のあがりで足れりとなし、それ以上望まないでいただきます。もし一反の田から
二俵の米が取れるなら、一俵は人々の生活を支えるために用い、残る一俵は、あとの耕地を開墾する資金として使わ なくてはなりません。このような手段によってのみ、わが実り豊かな日本は、神代に開かれたのです。」
また尊徳は人が働くということについて、こんな言い方もしています。
「天地はたえず活動していて、我々をとりまく万物の生長発展には止むときがない。この永遠の生長発展の法にしたが
って、休むことさえしなければ、貧困は求めても訪れない」
内村鑑三『代表的日本人』(岩波文庫)より
なにかにつけてデフレ・不況と言われますが、今日の問題が解決したからといって、高度経済成長のような時代が簡
単に再来するとは、ほとんどの人が思っていないことと思います。
そうした時代の流れのなかで、企業や中小事業主が、これから20年、30年生きていくことを考えるならば、周りの環境
がどう変わろうが、それに対応して、具体的な競争力のある商品の開発や、サービスや技術のレベルアップすることを 抜きには、なにも得ることはできないでしょう。
にもかかわらず、多くの売上げに伸び悩んでいる事業組織のなかには、「売れないから」、「お客が来ないから」、「不
況だから」、「会社が悪いから」、「行政が悪いから」といったような言葉を口実にしているところがなんと多いことでしょ う。
単純に、今、伸びている事業と伸び悩んでいる事業の差を見るならば、第一に、質の差以上に、投下している労働の
絶対量と情熱の差である場合がほとんどです。
質の差を生み出しているのも、その質に至るまでは、膨大な調査、研究、試行錯誤の繰り返しなどの単純労働量の
積み重ねによってなりたっていることを忘れてはなりません。
これまでのガリバー企業や日本的系列会社の枠組みは、どんどん崩れ去っていますが、他方で、新しいかたちでより
資本の集中による圧倒的設備投資による競争力強化も必然的に加速しています。
しかしその反面、確実に、あらゆる組織や枠組みに依存しない独立したネットワーク型の連携組織が発達していくの
がこれからの時代です。
「小」はまとまらないと「大」に勝てない時代から、「小」は「小」のままでも、個性、特徴がはっきりしていれば、「大」と対
等につきあえるということです。そればかりか、「小」のほうが機動力や無駄のなさなどから優位に立てることが多いとさ えいえます。
今の時代に「より大きく」を選択している組織(企業や政府、自治体など)は、リスク回避の手段として巨大化を選んで
いるに過ぎないようにさえ見えます。
さらに、「大」に対抗する力の面ばかりでなく、「小」そのもののチャンスが拡大しているのも、今の特徴です。
一番の要因は、デジタル化(異質な情報の等質化)を軸にした、情報・通信にとどまらないあらゆる技術の低コスト化
です。
こうしたインターネットなどのIT技術や様々な分野でアウトソーシング化が可能になってくると、必ずしも小さいことがハ
ンディではなくなってきます。
政府が「大きな政府」の時代から「小さな政府」の時代に移り変わってきたのと同じ構図が、企業社会、地域社会でも
進行しています。
『スモールビジネスマネジメント』 『ダウンサイジングとアウトソーシング』
デブラ・クーンツ・トラベルソ著 阪本啓一訳 岩尾達男 著
翔泳社(2001/03)定価 本体1,600円+税 日本生産性本部(1993/02) 定価 本体1456円+税
さらにこうした考え方は、日本の厚生労働省も、フィンランドの教育改革の成功事例をモデルに、はっきりと時代変化
の前提としてとらえています。
日本の厚生労働省は、「働く者お生活と社会のあり方に関する懇談会」に『転換期の社会と働く者の生活−「人間開
花社会」に実現に向けて』という報告書を提出している。これは、2004年6月のことであるから、同じ時期に文部科学省 とは違った動きをとっていたことになる。いや、1,980年代臨時教育審議会では、同じような論議をしていたので、その後 の日本の文部科学省のぶれが大きいというべきだろう。
ポスト工業化社会とは何か。厚生労働省の報告書によると、「多様な消費者ニーズを背景に、商品やサービスの質・
付加価値が重視され、ヒトが『知恵』や『感性』を通じて、これを作り出すことが経済活動に大きく寄与することになてく る」社会のことである。となると、決まり切ったことを言われるままに行うような労働力では、対応できないということにな る。
そこでポスト工業化社会とは、「さまざまな資質と才能を持った個人が、その能力を発揮することが経済活動の源であ
り、個人の多様な資質や才能を発見し、伸ばしていくことが教育の役割である」というようになっていく。日本では厚生労 働省に教育哲学を語られてしまったのである。
さらに、今後のポスト工業化社会では、「地域や家庭における世代交流や体験・実践の機会を豊富に用意することに
よって、再び、『学ぶ』こと、『遊ぶ』こと、『働く』ことを一体化させていくことが重要である」と、教育方法も指摘されてい る。そしてわざわざ「フィンランドの教育改革」という囲みまで作って、日本の厚生労働省は未来の教育モデルとしてフィ ンランドを高く評価しているのである。
ここでいう「スモールビジネス」とは、客のニーズに合わせた小規模の個性的な企業活動を指すが、フィンランドでは
自営業を含めて起業家精神を育てていたことが思い起こされる。授業方式からテーマ学習方式へとは、クラス一斉授 業からグループや個人がテーマに基づいて自主的に学ぶ教育方法へと変えたことをいう。
勝負をかけるとなると、どうしても独立、起業や新商品の開発などに目がいきますが、いきなり新しいもので勝負をか
けるというのは、もともとハイリスクであることを忘れてはなりません。
そうした新しい分野に思い切って挑戦できるようなしくみは、今よりも様々な面で整備していく必要のあることですが、
もし、新しい分野に挑む力や意欲があるのであれば、まず、今与えられた条件のなかで、思い切った改革、革新をとこ とん追求してみるのが先であると思います。
今、与えられた条件のなかで努力を重ねてきたら、次の目標が見えた、飛躍のチャンスがつかめた、というのが王道
です。
それに対して、単に現状がうまくいかないから他の道に期待するといったような発想では、およそ成功するはずがあり
ません。
私たちのいる商店街なども、日本中が同じような厳しい状況ですが、個店の中身を改革する力のないまま、安易に郊
外に出店をしたり、新規事業に手を出してみても、あるいは行政のテコ入れを期待しても、出る答えは同じです。
今、もっとも時流にのった優位にある大型店ですら、日々の改革を怠ったら、たちまちお客は離れていってしまう時代
です。
商品開発でいうと、とかく、今までにないような新しいものをつくろうとする。そのほうが売れる確率が高いと考えがちだ。
しかし、このような商品は需要に結びつきにくいのだ。思いつきやアイデア倒れになりやすい。奇抜になったり、たとえヒットしても一時のブーム
で、あとは急速に需要が冷えていく。ふとん乾燥機などはその例だろう。
だから、「なにか新しいものはないか」「今までにないものはないか」と鵜の目鷹の目になっても成功しない。
よく「ニッチ」という言葉を聞く。隙間という意味だ。隙を狙えばヒットしやすいと一般には考えられている。しかし、そのようなケースでは需要が小
さい。すぐ鉱脈が尽きてしまう。それで命脈が切れてしまう。それより重要なのは、需要の裾野が広いことである。いうなればオーソドックスな需要 を顕在化することこそ第一なのだ。
つまり、今あるものの「不」のつくものを無くしていくということです。
それらの改革、革新は、ベンチャーなどのいきなり新規事業分野をはじめるのでなく、既存の組織なかでおこなうもの
であれば、どれだけ、物的、人的、金銭的負担が少なくすむことでしょう。もちろん、まったく新しくはじめるものに比べる と、旧来の意識の壁がどうしても立ちはだかり、なかなか改革が思うように進められないことはよくあり、それならば、ゼ ロから始めたほうが手っ取り早いということはあります。
しかし、意識の壁というのは、いつでもやってくるものです。たとえゼロから始めたほうが楽だと考えても、やがて出来
上がった組織のなかには必ず、新しい意識の壁が出てきます。
この章のタイトルで、「ゼロからはじめるベンチャーよりも今あるものを立て直す経営革新(イノベーション)の方
がはるかにたやすい」といった表現をつかいましたが、「たやすい」と言いながら、決して「簡単」であると言うつもりは ありません。
リスクが少ないという意味ではそうですが、努力の仕方においては、現状の革新、改革をする力のないままで、他の
世界での起業、成功はありえないという前提のうえでのことで、簡単なことではありません。
簡単ではないけれども、それ抜きに成功はありえないという意味です。
P・F・ドラッカー著 上田惇生訳 P・F・ドラッカー著
『イノベーターの条件 社会の絆をいかに創造するか』 『非営利組織の経営』
ダイヤモンド社(2000/12) 定価 本体1,800円+税 ダイヤモンド社(1991/07)
著者は、社会起業家などがもたらすコミュニティ・ビジネスの効果を以下の四つにまとめています。
まず一つ目は「自己実現を目指す」ということ。個人の働きがい、生きがいを満たすことによる人間らしい暮らし、いわゆる「人間性の回復」が期待
できるということです。
二つ目は「その地域特有の社会問題の解決」。地域コミュニティ特有の問題を、コミュニティ・ビジネスで解決できるということです。
三つ目は「分化の継承・創造」です。少子・高齢社会が進むと、例えば地域の祭りが御輿の担ぎ手不足でできなくなるというように、生活文化・
伝統芸能の継承者がいなくなるなどの問題がでてきます。コミュニティ・ビジネスはこのようなときに、地域文化のクラブ活動として地域にある愛好 団体と地元企業を結びつけ、人々の交流を促す役割を担います。これはコミュニティ・ビジネスの観光・興隆による元気づくりにあたるわけです。
四つ目は「経済基盤の確立を図っていく」ということ。地域コミュニティに対する投資が行われ、地域コミュニティの雇用を満たすことが可能になっ
てくることは、最も重要といえるでしょう。 (本書28ページより)
ここに紹介した本は、上記の意味で「企業社内起業家」、「社会起業家」といった言葉を使っていますが、どちらも極端
な立場の人間のことを言っているのではなく、本来の企業や社会のなかでどこでも必要な人たちのことを言っているに すぎないと思います。
「起業」ということ自体、特別な意欲や技術のあるひとのみにできることではなく、「企業社内起業家」、「社会起業家」
といった言葉で見直すならば、どこでも企業や社会が生きていくためには必要なことであると気づくのではないでしょう か。
日本中の街中商店街をみると、これを立て直すのは確かに大変なことだと思います。
しかし、どこかで借金をして新しい店をはじめることに比べたら、その多くが自分の土地や建物で、家族労働に支えら
れた店舗の経営革新はなんて有利なことでしょう。
そこにあるのは意識の壁のみです。 (たしかにこれが一番難しいのですが・・・)
「新たにことを取り立てるより、廃れたるを興すは人情いつも平なるものなり」
上杉鷹山
でも、もう少し他所に目を向けるならば、これまで日本の製造業などは、ドルショックやオイルショック、さらに円高や
企業の海外移転の加速など様々な打撃を何度もうけ、その都度、合理化や技術革新など、まさに血の滲む努力を繰り 返して生き延びてきました。
それに比べら、小売業がこれまで行なってきた経営革新にはどのようなものがあったでしょうか。
小売業の生産性の低さに目をつけて、コンビニを日本へ持ち込み躍進したセブンイレブンの出発時点の状況は、今
もほとんど変わっていないのではないかと思えます。
たしかにどこも、それなりに頑張って努力を重ねてきたには違いないとは思いますが、製造業が業界全体で行なって
きた努力に比べると、その量、質ともに小売業の場合、大きく遅れているとこは、いなめないのではないでしょうか。
もういちど、他所に活路を求めるよりも、今ある財産を活かして経営革新(イノベーション)していく発想が求められて
いるのだと思います。
もう少し角度を変えてみると、「起業」ということが成功するかどうかの中身をみると、新しい「商品」や「サービス」の開
発、裏をかえせば「顧客の創造」(ドラッカー)ということの成否につきるともいえます。
どんな会社をつくるか、どんな店をつくるかといった問いよりも、どんな「商品」や「サービス」を売るのか、いかにして
「顧客を創造」するのかが大事であり、そこに徹すると、組織の形態にこだわる理由はあまりなくなってきます。
これまでの経営スタイルが大きく変わってきた代表的なものとして、ネット販売がありますが、そのなかでもアフィリエ
イトや次に紹介するプチリタイヤのようなモデルは、これからの時代の働き方そのものを大きく変える可能性をもってい ます。
毎月50万稼ぐネットショップを立ち上げることは難しいが、毎月3万から6万円程度稼ぐサイトを複数もつことはそう難しいことではないことに著者
は着目! それにアウトソーシングなどを組み合わせれば、まさに「なにもしないで月50万円の収入も可能である」という。そんなウマイ話があるか と普通思われるものですが、著者の視点はいたって正論。全国に本書の信者を急速に増やしています。
アフィリエイトとは、メーカーなどの他人の商品を自分のホームページ紹介するだけで、売れた場合の手数料収入得るしくみのこと。
ジャンルを問わず、自分のお薦め商品の広告、使用体験談や個人的に薦める理由などを載せるので、メーカー広告よりもリアルなユーザー情報
を提供することができ、メーカー側からも有効な販売チャンネルとして期待されている。ただし、販売責任を個人と起業の間でそこまで負えるかなど の課題もある。
先にハイリスク・ハイリターンの裾野には広大なミドルリスク・ミドルリターン、ローリスク・ローリターンの世界があるこ
とを書きましたが、同じように年収1000万以上の収入を得る仕事の裾野には、より広大な100万、500万の収入の世 界、より広大な3万、10万の収入の世界があるというあたりまえのことを忘れてはなりません。
得てして300万以上の収入につながる仕事でなければ食っていけないと、それ以下の仕事をバカにしがちですが、目
の前にある、時に1,000円稼げる仕事、1万円稼げる仕事、さらには収入につながらなくても、人に自分がしてあげられ ることがあったら、まずそれをおこなえることが何よりも大事なことなのです。
目前にあり、より機会の多いそうしたことを行わずに、なにか食っていける仕事はないかということばかり考えている
人が、まわりにはあまりにも多くないでしょか。
その考えが、起業のチャンスからその人をどれだけ遠ざけていることでしょう。
収入額の規模にかかわりなく、自分の出来ること、他人になにかして上げられる能力を、ひとつでも多く開発していく
ことが、ひとが生きていくうえでどれだけ大切なことか、この基本をもう一度ふり返ってみるべきです。
(参照ページ 高齢者率、独居老人率日本一の元気な島『大往生の島』 )
それから、もうひとつスモールビジネスの手段として忘れてならないのが、全国で始まっている「地域通貨」です。まさ
に、他人に役立つ能力、売れる商品さえあれば、元手がなくても、そのコミュニティーのなかで取引を始められるしく み。
これこそ、冒頭で紹介した加藤敏晴 著 『創業力の条件 チャンスに満ちたマイクロビジネスの時代へ』ダイヤモ
ンド社(1999/11) 定価 本体1,900円+税で強調されている地域通貨の核心部分なのですが、まだまだ発展途上の課題で す。
ちょっと、新種のネットワークビジネス紹介の入口みたいな雰囲気になってしまいましたが、肝腎なのは、スモールビ
ジネスなどの規模の小さいことによってこそ、自分の出来ることをたくさんみつける可能性が増えているということです。
長い歴史をふり返っても、網野善彦が中世の農村社会の実態で解き明かしたように、純粋な専業農家なんてめった
にいない。
農業をしながら漁にも出る、山があれば木も伐る、猟もする、藁や竹細工もするのが普通のすがたでした。
むしろ自分の住んでいる環境で、そこで出来ることはなんでもやっている方が「豊か」である場合のほうが多いので
す。
(参照ページ立松和平『浅間』の鎌原村の例)
ひとつの会社に所属していること、ひとつの専門職に属していることにとらわれずに、自分が生涯生きていくことを考
えたならば、あんなこともできる、こんなこともできるということを、仕事を通じてたくさん身に着けることがなによりも必要 であるということです。
定年退職後の老後の、そのひとの生きがい、生きる力などを考えるとなおさら、このことは重要なことになってくると思
います。
私は、スモールビジネス、個人事業などの成功事例をよく、会う人会う人に訊ねたり、記事で知ったところを訪れたり
するのですが、まだ残念ながらその多くは、話題になっているほどに数字がついていっていないのを頻繁に目にしま す。
それは、スモールビジネスや個人事業の成功例は、多分に弱者の側の戦略成功例であり、なんらかのこだわり商品
やサービスをもった事業なのですが、こだわりを持てば持つほど、商品が固定してしまう、という危険をはらんでいるか らです。
本屋であれば、「おたくはいい本がおいてありますね」とお客さんに褒めてもらえるのは嬉しいことには違いないので
すが、褒めてくれるというのは、その本についてそのお客さんは既に知っている、つまり、もう持っているから褒めるとい う場合が多く、褒められるということと、購買につながるということが同じではない場合が多いのです。
雑貨屋さんなどでも、趣味の良い店は時どき目にするのですが、2回目、3回目と訪れても、相変わらずいい雰囲気で
素敵だなと思いつつ、前に来たときとあまり変わらない商品が並んでいるので、評価はしても実際に買うものが無いと いうことになってしまうのです。
こだわりを持てば持つほど、そのこだわりの商品に執着しすぎて棚が固定してしまい、せっかく何か買おうと期待をも
って来店したお客さんを裏切ることになってしまっているのです。
これは、私自身もそう思っていながら、ついこだわりの商品はながく置きすぎて、棚が固定しまいがちになってしまい
ます。
こうした管理は、やはりセブンイレブンが圧倒的に徹底していて、あれだけ絞り込んだ商品でも、店の7割の商品は1
年の間に入れ替わるそうです。
いかなるビジネスでも、顧客の欲するものを売るということが大前提であり、前に来たときよりももっといいもの、もっと
面白いもの、もっと便利なものを期待してきたお客さんに、驚きや発見、感動を提供できないと「褒めてもらってっも買っ てもらえない」「褒めてもらってもまた来てくれない」ことになってしまいます。
個人事業、スモールビジネスに限って、周りに厳しい忠告をしてくれる人がいないまま独走してしまう危険も多いので、
自分を客観的に外から見る目を養うことは特に大切になります。
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