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 新館 堀口藍園と渋川郷学 

木暮足翁 これ無くとも足れり

(準備中 2004/11/03更新



 木暮足翁(こぐれそくおう)本名賢樹は、1788(天明8)年、渋川市南横町(渋川市南町)の農家に生まれる。      
                  (この時代の関連ページ『浅間』天明の大噴火
 現代では、群馬の地元で刊行されたもの以外、かなり詳しい歴史事典でも載っているような人物ではありませんが、
明治13年に平凡社から刊行された『近世偉人伝』に「木暮足翁伝」として詳しい伝記が記されているので、そう地元贔
屓ばかりのものでもないらしい。
 とはいっても、この『近世偉人伝』の「木暮足翁伝」を執筆したのが、渋川の堀口藍園であったというから、やはり地元
だけで静かに讃えるとしましょう。


 足翁は吉田芝渓に漢学を学び、その学統「渋川郷学」を高橋蘭斎に伝える。24歳で家督を妹むこにゆずり遊学。華
岡青洲に外科医術を、高野長英に蘭医学を学んだという。また歌学を屋代弘賢に国学を本居太平に学ぶ。
 

有吉佐和子『華岡青洲の妻』 新潮社



 帰郷して医を開業する。傍ら塾を開き、門弟に和魂漢才・大義名分・尊王開国を説く。
 足翁は、脱獄後の高野長英をかくまったとも伝えられるが、人目の多い渋川宿は寄らずに通過したとする説、脱獄
後、上州そのものを通らなかったなどの諸説がある。 長 英 逃 亡
 また、開国の建白書を幕府に上程したりもしている。

       
 

 木暮賢樹が足翁と名乗るようになったいきさつは、足翁を最も代表する逸話でもあるので、ここで中島励精著『北毛
郷学 堀口藍園 学統と人脈』新人物往来社から改めて紹介します。

 木暮賢樹は門人に対して「清貧自ら守って財を吝む勿れ、世間の人を看るに親戚朋友と雖も往々財を吝み而して怒
隙を生ず」と自ら自分の家にあった貸し札の証文(金貸し証文)十数枚を束にして火中に投げ入れて焼き捨て、曰く「吾
之れ無くも足れり」と言い放って自ら「足翁」と称するようになったというのである。

中島励精 著 『北毛郷学 堀口藍園 学統と人脈』
新人物往来社 非売刊行  (夢屋書房 頒価 6,500円 2002現在)



天保銭「吾唯足知」のこと

 足翁の時代、天保銭という通貨がありました。
 質の悪い銑鉄の悪貨の代表として有名ですが、ちょっと洒落たデザインをしています。
 真ん中に四角い穴のあいた銅銭なのですが、穴の上下左右に「五隹−矢」という文字をデザインして、それぞれの漢
字にある「口」という部分を、真ん中の穴を使って表現したものです。
 この四角を入れて読むと、吾唯足知。つまり、足るを知るということです。

        北斎漫画より

 昔の人は、なんて小粋なことをしていたのでしょう。

 足翁の時代そのものにこうした思想が深く浸透していたことを窺わせます。


 この天保銭は様々な種類のものが大量に流通していたらしいのですが、この穴あき天保銭は、明治以降にもかなりの量が出回っていたようで、
次のようなはなしもあります。

「ばくちは、男ばかりでなく、女たちもあった。
 宝(ほう)引きといって、一尺五寸ほどの麻ひもを人数分だけ用意し、その一本に天保銭をつけた。
 その麻ひもを数十本手に巻き、一人が一本づつ引いて、銭のついたひもを引いたものが、かけ金全部をもらうもので
す。宝引きは一回ニ銭だった。」
                             村上安正『足尾に生きたひとびと』より



 さてここでまた、まさに「蛇足」ですが、「足る」という言葉は、なぜ「手る」と書かないで「足る」と書くのか、あの安岡正
篤が疑問に思って調べた話があります。
 こういうことは大抵、中国の古典などを紐解くと答えが出てくるものですが、安岡正篤はいくら調べてもその答えを見
るけることができす、医学者らに広く訊ねることでようやく答えを導き出しています。

(その医者によると)人間の体で一番苦労しているのは足である。人間は寝ても覚めても大気の圧力、地球の引力、重力の圧力を受けている。何
をしても、この支配から脱することはできない。これに順応する一番楽な姿勢は横になることである。故に、匍匐する動物は一番合理的な体勢をと
っている。人間は立ち上がって前足を手にしたことから発達したのである。そうすることにより頭が発達したので、匍匐していると頭は無になってし
まう。ですから神経衰弱や胃下垂になっている人など、四つ這いになって歩くと治ってしまう。医者では、患者の体力によって一定時間這わせる運
動をさせるところがあります。私自身も御殿場におった時、やったことがあります。これをやると物を考えようとしても考えられなくなり、非常に腹が
すくから、胃病など治ってしまう。実によい運動です。文明から原始に返るのです。だから禅寺などでは、盛んに雲水や小僧に拭き掃除をさせま
す。これをしていると、どんなに悩んでいる時でも物を考えない。頭を空っぽにして四足になって働くから、胃腸は非常によくなる、だから健康にはよ
いのです。

 ところが、立ってしまうと、脊椎という積み重ね方式のひょろ長い、あやふやな柱、それを腰で受けて、その下に二本棒を立てて倒れないようにし
ているので、実に不自然です。そして曲がったり脱臼したり、しろいろ障害を起こすわけです。しかも腰、脊椎は非常に重要です。これから神経・血
管・淋巴腺などが全身に分布しているのですから、異常を起こすと体内はいろいろ変化を起こします。肝心要(かんじんかなめ)の要(かなめ)は腰
である(肝腎は肝臓と腎臓)。昔の人が「腰抜け」と言ったのは名言であります。大体の人間は二十歳にもなると多少「腰抜け」です。三十、四十に
なると、「大腰抜け」です。肩が凝るとか、胃腸が悪いとか、これは腰に異常があるためです。

 さらに悪いのは足である。足は心臓から出た血液が、そこへ降りてくることはできるが、それを順調に上に上げるためには、あらゆる努力を払って
いる。足の機能が完全になれば、ほとんど言うことはないそうです。健康である、すなわち「足る」である。手などは問題ではない。病気などしたり
すると、まず足が駄目になる。フラフラする。足腰が定まらないということが、一番精神的にも肉体的にもいけない。そこで足をできるだけ丈夫にす
る、足の機能を旺盛にする、完全にすることが、我々の終身の健康の必須条件である。だから「たる」という意味に足を用いたのであると。
 それを聞いて初めて、私の多年の疑問が釈然としたのです。

 

安岡正篤 『運命を創る』 プレジデント社
                                         


『老子』は、「足るを知る者は富み、強め行なう者は志有り」(33章)と言う。

「足るを知る」というのは、
今あるだけで十分で、後は何もいらないのだという意味に考えられるが、もう少し積極的に捉えて、
自分の"立命”にそって目標に向かって必死の努力をしていく中で、
自分の欲望が自分の心のコントロールの範囲内に収まっていることも指している。

赤根祥道著 『安岡正篤 泳ぎもせず漕ぎもしないで一生を終わるな!』
三笠書房(1995/06






『足は何のためにあるか 何のための知識シリーズ5』
山田宗睦ほか共著
風人社 (1992/12) 定価 本体2,500円+税



                                            文 ・ 星野 上





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