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第五テーマ館 根源から「お金」を問う エンデの遺言
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平成16年9月に総務省から「中心市街地の活性化に関する行政評価・監視結果に基づく勧告」という文章が出されま
した。
それは、通称「中心市街地活性化法」という平成10年、法律第92号によって、全国593市町村内の611の中心市街
地について作成された「基本計画」の実施状況を調査したものです。
(「平成10年度から13年度までに基本計画を作成した138市町のうち、12年度以前に基本計画を作成した121市町について、中心市街地の活性
化の状況を、居住、商業及び業務に関する統計指標の基本計画作成前後の動向等により調査した結果」)
詳細を読むまでも無く、おそらくよい話ではないだろうと思いながらも、その具体的調査結果を見てあらためて驚きま
した。
ざっと冒頭の中心市街地の人口、商店数、年間商品販売額、事業所数、事業所従業者数をみても、どのデータも70
〜90%へ減少しています。
ア、中心市街地の人口
121市町のうち、84市町(69,4%)の中心市街地において、平成15年の人口が減少している。
イ、中心市街地の商店数
120市町のうち、111市町(92,5%)の中心市街地において、平成14年の商店数が減少している。
ウ、中心市街地の年間販商品売額
120市町のうち、113市町(94,2%)の中心市街地において、平成14年の年間商品販売額が減少している。
エ、中心市街地の事業所数
120市町のうち、112市町(92,7%)の中心市街地において、平成13年の事業所数が減少している。
これらの数字は、中心市街地活性化のなんらかの行政テコ入れ努力のなされている地域での結果です。
まさに、いったいどうしたらいいんでしょう、といった感じです。
しかし、バブル崩壊後のデフレ時代の産業、商業統計全体から見れば、中心市街地の数値が悪いことには違いあり
ませんが、だからといって他の地域や分野の数字が決して良いわけでもありません。
郊外型ロードサイドの施設といえども、スクラップアンドビルドを繰り返していない限り、さらには郊外の大型ショッピン
グセンターといえども、一つ強い競合ができてしまえば、たちまち衰退の道をたどっていることに変わりはありません。
アメリカでは、つい最近まで栄えていた巨大ショッピングセンターが、10年足らずで巨大ゴーストタウンと化してしまっ
たところも珍しくない時代です。
この時代の大きな流れを踏まえない限り、いくら行政のテコ入れ(財政投入)やイベント・企画を打ってもその多くが無
駄に終わってしまうことと思います。
今の時代の競争に生き残っていくには、まず、具体的な競争力のある商品を持っていること、はっきりとした満足度
の高いサービスが提供されていることが不可欠の条件で、それを抜きに他所と同じような商品を売り、同じようなサー ビスを提供しているだけでは、いかに、他の活性化対策をうっても、優良立地の先端産業といえども、時間と共に衰退 せざるをえません。
中心市街地活性化の問題を考えるとき、いつもこの優先すべき点が抜けたまま議論がされているように見えてならな
いのですが、もうひとつ加えたいのが、絶対的投下労働量の差です。
中心市街地を構成している中小商店の場合、どこも頑張っていることには違いないと思いますが、郊外型店舗や巨
大ショッピングセンターなどが、パート・アルバイトを駆使して、高密度の労働を実現し、尚且つ、幹部社員が、夜遅くま で業務改善に頭をひねって働いていることに比べると、多くの中心市街地の商店主の労働は、その労働密度、労働の 絶対量ともに圧倒的に少ない場合がほとんどです。
それでは、よほどのウルトラCでもない限り、そもそも勝てるはずがないと思います。
本来、売上げが低いからこそ、お客が少ないからこそ、通常業務以外の新しい試みをたくさんしてみる、あるは調べ
てみる、試してみる時間が豊富にあるはずだと思うのですが、まさにこれこそ「言うはやすし、するは難し」。 (現実に は、忙しい人の方がこうしたことはより多く行っているのですが・・・)
中心市街地の中小商店事業者は、少なくとも、何歳になっても、リストラに怯えず、看板の力も、地域に根付いた人脈
ももつという有利な条件を持っていることを忘れず、不況や、行政などの他人のせいにすることなく、まず人一倍働くこ とが第一であると思います。
このことにふれると、いつも話がどんどん脱線していってしまうので、これ以上は別のページで詳述します。
問題を立てなおさなければならないのは、ナショナルチェーン店などと異なり、中心市街地の商店、事業所などは、い
かなる条件が変わっても、その街で、その街の人びととともに、今ある場所で、孫子の代まで営業し続けたいと思って いることであり、また地域の人びとからもそうあることを求められているということです。
そのために、厳しい競争環境のなかでどうしていかなければならないかということです。
それこそ、世界がようやく気づきはじめた、競争優位の創造と破壊の社会から、持続可能な共生の社会をどうしたら
築けるかという問題です。
今この時代に、社会で一番求められている課題の解決の糸口に、中心市街地活性化問題は直面しているのだと思
います。角度を変えていえば、今、より多くの人々が暮らしているその場所で、豊かに暮らしていける社会構造をいか に築き上げていくかということだと思います。
立地が悪いから、行政が予算を出してくれないから、景気が悪いから、メーカーや問屋が悪いから、といった言葉は
すべてそこで真剣に生きていこうとしている人から出る言葉ではありません。
人口が減ったとはいえ、そこにはどれだけ多くの人びとが暮らしているかもう一度ふり返ってみるべきです。
「自治」という言葉がなぜか最近は「行政」という言葉に変わってしまったような気がしますが、
今、そこに住んでいる人が、今、自分たちが持っている条件で、知恵を出し合って支えあい、強くなることが、「自治」と
いう言葉の意味ではなかったでしょうか。 ![]() ![]()
このような中心市街地商店街に顕著に現われるコミュニティの崩壊現象は、なにも特殊な事例ではありません。
どこでも、うちの地域は、うちの業種は、と悲観的な事例を述べていますが、こうしたことがらはより大きな視野でみる
ならば、アメリカでは60年代の半ばあたりまでさかのぼることのできる、世界的な現象でもあります。
次に引用するフランシス・フクヤマの一文は、はじめは抜粋で掲載しましたが、今後いろいろなところで紹介されること
になると思われる大事な部分なので、少々長く引用させていただきます。
「一般に、情報化時代は1990年のインターネットの出現と関連づけられている。しかし、実のところ工業化時代からの
転換はすでに30年以上も前に、アメリカの中西部と東北部を中心とする工業地帯の衰退とともに始まっていた。他の工 業国家でも、やはり同じ時期に製造業からの転換が起っている。この1960年代半ばあたりから90年代初めにかけての 時期は、ほとんどの工業国において、社会の状況が深刻に悪化した時期でもある。社会秩序が崩れて犯罪が増えはじ め、世界屈指の富裕な社会の都心部が、ほとんど人の住めないような状態になった。一つの社会制度として200年以 上のあいだ大事にされてきた血縁関係はしだいにかえりみられなくなり、20世紀後半には急激にその意義を失った。 日本と多くのヨーロッパ諸国では出生率がいちじるしく減少し、流入してくる移民がほとんどいないことも手伝って、次の 世紀に人口が減少することは避けられない状況になっている。結婚と出生の率は減り、逆に離婚率は急上昇し、婚外 子の数も増えた。いまやアメリカで生まれてくる子どもの3分の1、北欧では半分が婚外子である。そして何よりも、制度 への信頼がこの40年のあいだに大きく落ち込んだ。1950年代末、欧米の国民の大多数は、自国の政府と国民への信 頼を表明していたものだが、90年代のはじめに同じように答えた人はごくわずかである。人びとのつきあいかたも変わ った。人間関係が薄れたという明確な根拠はないが、やはり長いこと維持していけるような関係は少なくなり、たがいに 深入りせず、狭い仲間うちだけでつきあっていく傾向にある。」
「こうした変化はどれも急激であり、しかも、世界中のさまざまな先進国で、ほとんど同時期起こった。つまり、これは二
十世紀半ばの工業化時代において当たり前とされていた社会的価値観が『大崩壊』したということだ。」 ![]()
これらの社会の工業化の進展とその次の「脱工業化」への流れは、近代社会学のもっとも有名な概念、「ゲマインシャフト(共同社会)」と「ゲゼル
シャフト(利益社会)」を誰もが思い起こしますが、
20世紀半ばに書かれた社会学の標準的なテキストの多くは、ゲマインシャフトからゲゼルシャフトへの移行を、あたかも1回限りの出来事である
かのように描いていた。社会は「伝統的」か「近代的」かのいずれかであり、社会が発展して最後に到達するのが、その近代的社会であるとされて いた。しかし、社会の進化は1950年代のアメリカの中流社会で終わりを迎えたわけではない。工業化社会はまたすぐに、ダニエル・ベルが論じた 脱工業化社会、あるいは俗にいう情報化社会へと変容したのである。この変容が過去の変容と同じくらい重大なことであるのなら、社会の価値観 に対する衝撃が同じように大きいものだったとしても驚くにはあたらない。(『「大崩壊」の時代』p、22)
近代資本主義と貨幣経済の発達は、必然的に封建的社会規範を解体して、個人主義、実利主義の価値観を浸透さ
せてきました。
ところが、その一方で社会が機能している限り新たなルールの価値というものが見直されてきたことを見落としてはな
りません。
(保守主義者、進歩主義者、双方によって)個人主義は無制限に追求され、ある意味ではルールをぶちこはすことが、
残存する唯一のルールとなった(むきだしの資本主義社会:内橋克人)。だが、ひとびとがまもなく気づいたように、そこ には深刻な問題があった。第一の問題は、道徳的な価値観や社会のルールのもつ意味に関係している。それは個人 の選択をいたずらに制限するだけのものではなく、むしろあらゆる意味での共同的な営みの前提条件なのである。実 際社会学者は近年になって、社会が蓄えている共通の価値観に対して「社会資本」という言い方をしはじめている。物 的資本(土地や建物や機会)や人的資本(人間のもつ技術や知識)と同様に社会資本は富を生み出す。したがって、国 家経済にとって経済的価値があるわけだ。(『「大崩壊」の時代』 p、28)
強烈な個人主義文化の第2の問題は、そのいきつくところ、コミュニティがなくなってしまうことだ。コミュニティは、複数
の人間がたまたまかかわりあうようになればかならず形成されるというものではない。真のコミュニティは、そこに属す る人びとが価値観、規範、経験を共有することによって形成されるのである。(『「大崩壊」の時代』 p、29)
すべての社会には、かならずなにがしかの社会資本がある。では何がちがうのかといえば、それは「信頼の範囲」
(“radius of trust”)である。誠実さや互恵的な行動といった協力体制を支える規範(cooperative norms like honesty and reciprocity)は、あるかぎられた集団のなかでは共有されても、同じ社会の他の領域では共有されない。 (『「大 崩壊」の時代』 p、33)
こうしたコミュニティの崩壊に加えて、あらゆる組織(国家、自治体、企業、家族など)の秩序やヒエラルキーの崩壊も
一貫して続いています。
(中略)、権限を下方、すなわち技術の専門家や周辺知性を生みだして利用する人びとに委譲すれば、支配者の権力は弱体化しはじめる。こうし
た過程はソヴィエト連邦で起こったことであり、それは社会主義が崩壊した理由のひとつでもある。(中略)、スターリンは恐怖によって彼らを支配す ることができた(中略)が、スターリンの後継者が彼の真似をするのは難しくなった。技術の専門家は知識を保留して、権力者を相手にかけひきで きるからだ。それによって、専門家は自立性を獲得し、やがて自分の頭で自由に考えはじめた。さらに、価格の決定と原料の移動に関するすべて の決定権が理論上はモスクワの閣僚の手にあった事実にもかかわらず、中央政府は周辺で発生している知識のすべてを逐一把握するいかなる 手段ももっていなかった。 (『「大崩壊」の時代』 p、61)
教育水準の向上、インターネットの普及などが、このような流れをさらに加速しています。
しかし、フランシス・フクヤマは、このような「大崩壊」を必ずしも絶望的な流れとしてばかり語っているわけではありま
せん。現実に犯罪率の低下傾向がみられたり、ボランティア組織の増加など、必ずあたらしい組織づくりも各地で生ま れています。
資本主義は同時にみずからが破壊したものにかえて新しい秩序や規範を創造することができる。
(『「大崩壊」の時代』 p、134)
このような世界史的な流れのうえにたってみるならば、私たちの地域での地域産業の衰退、コミュニティ崩壊などに対
して、なされるべき対策は、道路の整備拡充、商店アーケード作りも重要ですが、より根本的な地域整備構想が必要な ことはあきらかだと思います。
では、それはいったいどのようなものでしょうか。
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ここに紹介する「アワニー原則」は、当面の地域社会をいかに築きあげていくかという問題にとても重要な指針を示し
てくれています。
「アワニー原則」とは、6人の建築家達によって起草され、1991年の秋に、カルフォルニア洲ヨセミテ公園のホテル・ア
ワニーで、地方自治体の幹部達に発表されたものです。 ![]()
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このタイトルは、もの言う前にそれはお前のことだ、といわれてしまいそうですが、我慢して先を読んでください。
以前、群馬県庁の方が、このホームページを見て取材に来ていただいた際、「アワニー原則」の話題になり、大変興
味を持っていただいたことがありました。
早速、前掲の『サスティナブル・コミュニティ』を図書館でみつけて読んでみてくれたとのことですが、行政のプロでも
このような本は、話とは違ってとっつきにくさがある、といっやような感想を聞きました。
なるほど、と思いました。
優秀な方ほど、問題を分析すると体系的に網羅しなければならないと、20、30もの項目で整理してしまいますが、そ
れは、十分な説明になっているようでありながら、他人に何を伝えるのかといった観点では、せっかくの正しい理論がピ ンボケになってしまうことがあまりにも多いということです。
私は、アワニー原則のこの原文を知るまで、内橋克人氏の「半径600m以内ですべての生活に必要なことが満
たされる街づくり」という表現しか知りませんでした。
県庁の方と話をしたときも、その程度の認識でした。
しかも、その半径は800mだったか、1500mだったかも確かな記憶ではありませんでした。
この「半径600m以内ですべての生活に必要なことが満たされる街づくり」というのは、本書のなかでそのような
街づくりが成功しているひとつの街の事例(後述:ラグーナ・ウエスト)として紹介されているだけで、アワニー原則の文 中に出てくる表現ではありません。
でも、この言葉だけで、先に紹介したアワニー原則の長い項目列挙のほとんどのことがらは語りつくされているといえ
ます。(几帳面な方には我慢ならないかもしれませんが・・・。)
内橋克人氏はこのことを意識的におこなっているのかどうかはわかりませんが、常にマスコミの「常識」に根本から立
ち向かうスタンスで活動されている氏ならではのことと思います。
ラグーナ・ウエスト ピーター・カルソープの試み
先の「半径600m以内ですべての生活に必要なことが満たされる街づくり」とは、カリフォルニア州の州都サクラメント市の南約18キロのと
ころに計画された、面積約320万平方メートルのニュータウンのことです。
ラグーナ・ウエストの開発者であるヒル・アンジェラスは、州政府の住宅部門に8年間勤務した経験を持ち、ラグーナ・ウエストの開発当時は、北カ
リフォルニアで最も有力な開発業者の一人という評価を受けていた。彼は、当初ラグーナ・ウエストを従来の手法によって開発する予定で設計をす ませ、事業の実施に必要な関係機関の許認可も得ていた。しかし、89年の春、全面的に計画を変更する。カリフォルニア大学バークレー校で開催 された“サスティナブル・コミュニティ”と題するセミナーに出席し、ピーター・カルソープの講演に、強い衝撃を受けたのである。
アンジェリデスは、カルソープの描く町こそ自分の求めていたものであるとの確信を得た。手元にあった設計書は破棄され、カルソープに新たに
設計が依頼されることになった。計画変更によって被る損失を、アンジェリデスは400万ドルと見積もり、新しい町が完成すればその損失は十分に 補填されると判断したのだ。
カルソープは、歩行や自転車が主要な移動手段で、住民が強いコミュニティ意識で結ばれ、コミュニティの中心部には広いパブリックなスペース
と施設を持つような彼の理想とする町を、ラグーナ・ウエストに実現しようとした。
残念ながら、不況の到来とともに、この計画は一時中断を余儀なくされますが、その後も計画は継続されているとのことです。
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コミュニティーの構成単位を考える場合、エリアの広さの問題とともに、人口規模の問題も大事なことです。
こうした国の規模にも適正サイズがあることが、最近になって一層注目されてきましたが、自治の単位ということを考
えれば、このことはよりいっそう大事なことであることがわかります。
内橋克人氏もしばしば引用している例で、正確には覚えていないのでおぼろな記憶でのシチュエーションですが、こん
な情景描写があります。
街の通りの真ん中で、ひとりの男が小さい女の子の腕を強引につかんで何か怒鳴りながら、その子を引っ張ってい
る。女の子は泣きながら逃れようとしている。
すると、向かいの理髪店の親父が店の前に出てきて、なにをしているのかとじっと睨みつける。やがてその隣りの店
の店員も出てきて見ている。
しばらくすると通りで怒鳴っていた男は、街の人々に囲まれていた。
その男は、すごすごと引きあげざるをえなくなってしまった。
後でわかったことであるが、その男は、女の子の父親であった。
このようなコミュニティの機能が、都会化していくと次第になくなってしまっています。
大都会に限らず、田舎ですら同様の現象はすすんでいます。
知らない人間に迂闊に余計なことを言ったらなにをされるかわからない、と。
それらは、市場経済の発達とともに、まずは労働力の都会への流出、流通・産業の都市部と郊外への流出となって
現代に至り、さらにはコミュニティの存在価値事態も市場価値でしかかえりみられなくなってしまいました。
上記のような、その街で暮らす人びとが、お互いの顔や生活を、それぞれのプライバシーは尊重しながらも知り合い
ながら維持していけるコミュニティとは、そもそも人間集団の規模として当然上限があります。
その数については、地理条件や歴史環境、その地域の基盤産業の特徴などによって当然差があるでしょうが、数千
人規模から多くても1万人には満たない人口規模でないと、ひとつの自治組織としての機能は果たしえないのではない かと思います。
古くは、ユートピア思想家たちも次のようなイメージを持っていました。
一方、ユートピアの世界でいうと、構想プランにすぎないが、トマス・モアの場合、田舎の農家は30戸ごとにコミュニティ
をつくり、その単位ごとに家族長をおくことになっていた。モアのいうコミュニティは、わが国の農業集落の規模意に近 い。
オーエンの「ニュー・ラナーク」の場合、一つの工場から生まれるコミュニティの最適規模を300戸(家族)、500〜1,500
人としていた。紡績工場という土地生産性の高い施設を域内に設けたから、単位面積当たりの人口扶養能力は高ま り、コミュニティ規模も拡大したと考えられる。新たに工業が経済活動として出現したことにより、人々の集住形態は変 化していった。土地生産性が高まった分、一定区画内への集住人口は増えていったのである。
フーリエは理想社会「ファランジュ」を構想したが、そのコミュニティの場合、最適規模は1,800人としていた(『産業的
協同社会的世界』)。4階建ての協同宿舎に住み、産業的には農業を主とし、製造業を従とするものだった。
平野秀樹著 『森林理想郷を求めて』中公新書(1996)
私の素人考えでも、人口1,000から5,000人あるいは上限7〜8,000人規模までがコミュニティの単位としては、現代でも
適切なのではないかと思えます。
ついでに先の平野秀樹著 『森林理想郷を求めて』で著者は、続けて次のような指摘をしています。
ところで、20世紀に入って以降、都市計画のコミュニティ分野において、いまだに超えられないという理論がある。
(略)クラレンス・A・ペリーの『近隣住区論』(1929)である。
ペリーは、この理論の創出に当たって、中世都市のコミュニティ単位である教会コミュニティの大きさに注目していた。
1916年当時、アメリカの10万〜30万人規模の都市には、人口1,500人ごとにほぼ一つの教会があったのだが、ペリー はこれをコミュニティの構成因子とみなした。教会の鐘の音の聞こえる範囲にそれだけの人々がまとまって住んでいた ということでもあろう。それと、住民を800メートル以上も歩かせてはならないこと。これらの生理的な観点も加えて、 ペリーは近隣住区の規模を決めていった。ペリーは、適正コミュニティ人口をおおよそ5,000から9,000人(トーマス・ライ ナー『理想都市と都市計画』)としていた。
まさに、アワニー原則の本家理論であります。
念をおしておきますが、これは今、進行している「平成の市町村大合併」の流れとはまったく別次元の話です。
市町村合併の流れ自体は、ごく一部を除いて避けられないものになってしまっていますが、決まってしまったことは、
それぞれの住民の意思できまったことですから、ではこれからどうするかということを考えることが大切です。
「合併するしないは問題ではありません。合併すると決めたなら、『遠い政府』や、教育や福祉など身近な方がいいサー
ビスをどうするかを考えるべきです。合併しないと決めたなら、規模の利益が働くサービスをどうやるか。どうデメリット を消し、メリットを確保するか。その議論が日本では乏しいのです」 (神野直彦東大経済学部長)
ここで紹介したアワニー原則、サスティナブル・コミュニティの問題は、考え自体は市町村合併とはまったく異なった価
値観のものですが、進行した市町村合併下でもその実現はまったく不可能なことではありません。
それは、現在の行政の単位と住民生活本位の自治の単位を区別して考えることも可能だからです。
合併して巨大になってしまった行政単位のなかでも、それを構成するより小さな自治組織づくりはなんら矛盾すること
ではありません。
大正時代末期に石橋湛山が新聞記者時代に、既に地方分権を説いていたことを、元上野村村長黒沢丈夫氏が紹介
しています。
「地方自治体にとって肝要なる点は、その一体を成す地域の比較的小なるにある。地域小にして、住民がその政治
の善悪に利害を感じることを緊密に、したがってまた、そこに住んでいるものならば、誰でも直ちに、その政治の可否を 判断することができ、同時にこれに関与し得る機会が多いから、地方自治体の政治は真に住民自身が、自身のため に、自分で行う政治たるを得る」
自治体は小さいほどいい。小さいほど行政のいい悪いがすぐ分かる。小さいほどすぐ是正できる。
そして、このことを強調するうえで大事なのは、これらはすべてソフトの問題で、道路をつくる、ホールをつくるといった
ハード中心の行政とは異質の仕事であるということです。
もちろん、サスティナブル・コミュニティとしての機能を果たせるようになるには、「脱」車社会の街づくりのためのハー
ドの計画も必要なことですが、行政の仕事が、ハード中心でないことは明らかです。 ![]()
ここで、一般に言われる「社会資本」という言葉についても、再考してみなければなりません。
一般的に「社会資本」とは、道路、河川の堤防、港湾、農業基盤、空港など公共のための基本的な施設のことをい
い、インフラストラクチャー(インフラ)とも呼ばれており、このほかに最近では新社会資本として、学校、病院、下水道、 次世代情報網など生活に欠かせない施設や設備を含めていうこともあります。
これらは、どれも公共性の高い事業ゆえに民間ではなく、政府の事業として位置づけられることが多いのも特徴で
す。
しかし、これらはいづれもハードに関する事業ばかりで、公共性を担う社会資本としてソフトの面や、ハードとしても金
銭的に計測しにくい自然環境なども、大事な「社会資本」の構成部分になることを見落としてはなりません。 ![]()
「社会資本」という言葉に「資本」という表現がついている限り、有形なもの、ハード中心になるのが必然のようにも思
えますが、これまでの歴史を通じて私たちは、社会を支えているものがハード以外のもの、あるいは単純にこれまでの 方法では金銭的にで計測不能なもののもつ意義が、いかに重大であるか学んできたと思います。
どんなに公共施設が整っていても、その街で暮らす人びとが皆、都会やよその町へ働きに出ていたり、地場産業が
乏しかったり、地域の商店街がシャッター通りになったままでは、コミュニティの機能は発揮されません。
また、子どもから高齢者までが、バランスよくその地域に暮らしていること、暮らしていられることもとても大事なことで
す。
さらには、働き盛りである30代40代の、本来知恵も体力もある人びとが、会社などの仕事にかかりきりの生活でな
く、その年代の人びともなんらかのかたちで地域に貢献できるかどうかということも大きな問題です。
稲葉氏の観点でいえば、使い捨てとしての労働力ではなく、再生産可能な人的資本としての労働力の価値が認めら
れ、その能力が発揮される環境があれば、その企業もその従業員も社会で疎外されることなく、成長し続けることが可 能になる。
まさに「人的資本」が活かされる環境があるかどうかこそ、最も大きな社会資本の構成要素であるともいえる。
さらにはこれまで、なかなかその価値は認められながらも、客観的な評価がされてこなかった自然環境なども、土地
代以外の、環境付加価値、環境再生産に必要なコストを含めて考えたとき、はじめてそれらが重要な「社会資本」として の価値を持っていることに気づきます。
これは別なところで詳述しないといけませんが、公共性の高い都会の土地や地下資源、広大な森林などは、植民地
時代や、過激な資本主義時代に奪い取った所有者の権利が未だに大半を占めており、その私的所有の性格ゆえに、 たんなる投機対称であるばかりでなく、乱開発、破壊へいたる例が必然的に起きてしまいますが、現代では資本主義 の考え方のなかでさえ、その公共性が認識され、私的所有を退け国有にしたり、様々な規制を強化する方向にありま す。
まだ私にはうまく説明できませんが、これら社会に存在する公共性の高いものに対する人びとの関心が、次第に有形
なものばかりでなく、無形なものまでも含めて、公共性を支えている重要な「社会資本」として認知されるようになってき ています。
そうした広い意味での「社会資本」を構成している核として、その地域のコミュニティー機能が機能しているかどう
か、という視点がとても大事な時代になってきました。 ![]()
(ここで、またちょっとお休み)
文 ・ 星野 上
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