角田修さんは、大学の研究者でも地元の教員などを中心としたいわゆる郷土研究家でもありませんが、家系が角田
柳作の親戚筋にもあたることから、家に残っていた角田柳作の文献や手紙を手始めに、膨大な資料を整理分類され て、関連方面への資料提供なども行なっておりられます。
さらに角田さんは「いぶき」という角田柳作に関する調査報告集を出され、毎号、関係各方面にも配布されてます。
まとめ上げた資料集のなかで角田修さんは、角田柳作との出会いのいきさつについて次のように語っています。
はじめに
三つの「ある」。
私の角田柳作との出会いは子供の頃、祖母から聞いた二つの話(エピソード)に始まります。そして、成人後、まず、
私の父が角田柳作に関心を寄せ、ドナルド・キーン氏、柳井久雄氏、永井道雄氏、司馬遼太郎氏などの著作を私に見 せてくれました。また、その拙宅に鹿野政直教授と佐藤能丸教授をお迎えしたことも話してくれました。
そして、私が漠然と抱いていた角田柳作へのイメージは三つの「ない」でした。
1、柳作は自分自身について自ら語ることが少ない。
2、出版物が少ない
3、50年を海外で過ごしたために、日本には資料がほとんどない。
その後、私の父の死後、我が家に角田柳作に関する資料が存在していたことを知り、私も父以上に関心を抱くことと
なり、調査をはじめました。
そして、今では三つの「ある」をテーマとして、取り組んでいます。
1、柳作は自分自身について語った資料がある。
2、単行本での出版よりも、雑誌への投稿論文がある。
3、日本にも資料は存在する。
私は当初、角田柳作という人物の歴史上の面白さに惹かれてこのテーマ館のページを開設したのですが、次第にそ
の興味が、研究者でもない一般の民間人が、こつこつと調査研究をはじめて、研究者顔負けの仕事をされている角田 修さんにスポットをあてたほうが、ずっと面白いのではないかと感じるようになってきました。
いまやインターネットの検索技術の向上などの恩恵もあり、膨大な画像データや資料もデジタル化して管理でき、こう
したホームページに情報公開することも可能になってくると、これまで専門の研究者たちが1冊の本にまとめあげた概 略解説程度の情報は、急速に陳腐なものにみえてきます。
これからの時代の様々な研究のあり方が、一層、専門家と一般人の壁がなくなりつつあるひとつの例として、ますま
す角田修さんの今後の成果に注目していきたいと思います。
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