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紫陽花の万葉歌 二首のしおり





  万葉集のなかでアジサイを歌った歌は、次の2首だけだそうです。


 

あぢさゐの 八重咲くごとく 八つ代にを
   いませわが背子 みつつ偲はむ 

安治佐為能 夜敝佐久其等久 夜都与尓乎 伊麻世和我勢故 美都々思努波牟
                   橘 諸兄 (巻二十−4448)
              小野池アジサイ公園の碑



言問はぬ 木すら あぢさゐ 諸弟らが
練りの むらとに 詐えけり

事不問 木尚味狭藍 諸弟等之 練乃村戸二 所詐来
                   大伴家持 (巻四−773)



 偶然でしょうが、あじさいの対照的な特徴をそれぞれあらわしています。

 はじめの橘諸兄の歌は、
  あじさいが幾重にも群がって咲くように変わりなく、いつまでもお健やかでいてください。
  わたしはこの花を見るたびにああなたを思い出しましょう。
 「八重咲くごとく八つ代にを」と、永続性を強調しています。
    「八つ代」は「弥つ代」としている解釈もあります。


 それに対して、大友家持の歌は
  物言わぬ木でさえ、あじさいのように色鮮やかに見せてくれますね。
  それ以上に言葉をあやつる諸弟たちの上手い言葉にすっかりだまされてしまったことですよ。
 といった、あじさいの色鮮やかさを強調した歌です。
 他に、あじさいのうつろいやすさを強調したような解釈もあります。



アジサイの語源と植生

  
万葉植物事典  万葉集を読む
北隆館(1995/11/20) 定価 3690円+税

 
 和名のアジサイのアジはアツで集まること、サイは真藍(さあい)からきていて、青い花が集まって咲くこと、
すなわち集真藍(あづさあゐ)に由来している。
 アジサイはふつう紫陽花と書かれているが、これは白楽天が江州の郡守をしていた時、その地にある招賢
寺を訪れたところ、そこに名前のわからないという珍しい花木があるということで案内された。その木には白
色と碧色のまじった球状の花が咲いていた。そこで、詩をつくり、この中で「君がため名づけて紫陽花となさ
む」と記した・
                                  万葉表記 安治佐為・味陝藍


 アジサイは日本原産の植物であり、これが万葉時代から栽培され、花びらが幾重にも重なって咲くとか色
が変わるといった比喩に使われるほど知られていたことは驚きである。しかし、これほど目立つ花が『源氏物
語』にも『枕草子』にもまったく取り上げられていないこともまた不思議なことである。

 アジサイそのものは野生していないが、野生種としてはガクアジサイがあり、房総半島、三浦半島、和歌
山半島の先端、四国足摺岬など太平洋岸の暖地海岸に自生している。またヤマアジサイは別名サワアジ
サイといわれるように関東以西の山中のやや湿ったところに分布している。

 タマアジサイも山地に自生し、古くから知られているアジサイのなかまである。玉紫陽花の他、木紫陽花
(きあじさゐ)、銀我草(ぎんがさう)、沢法師(さわぼふし)、玉段花(ぎょくだんくわ)などと呼ばれていた。

 これら野生種を含めてあじさいといっていたとしても、万葉時代にとりあげられ、その後ほとんどとりあげら
れず、芭蕉句(発句編・夏)でやっと現われてくる。アジサイは流行の波に乗った花であったのかも知れな
い。

                            以上 『万葉植物事典』 北隆館(1995/11/20)より

 



アジサイの万葉歌2首の栞

 渋川市のアジサイ公園周辺で、様々なとりくみをされている地元の方と話をしていたら、この2首をおり込んだ「しおり」
を思いついて、作ってみました。
 まだ試作品ですが、裏には上記のアジサイの語源などを印刷したら面白いと思います。



私の手作り栞についてのブログ記述

理想のしおりを求めて  伊香保万葉歌の栞
子持の万葉東歌しおり  手作り栞のバラエティー
手作り栞の作り方


 恥かしながら、アジサイ公園のことをいろいろ話していながら、アジサイが渋川市の花であることを私は知りませんで
した。
 そんなことならなおさら、と、皆さんと協力しながらもっと工夫していきたいと思います。







小野池アジサイ公園

シーズン中ここを訪れるひとの数は、渋川市へそ祭りよりも多いという
毎年6月上旬から7月末にかけて「あじさいまつり」が開かれ、夜間のライトアップもされます。
渋川市上郷 (市役所通り 滝橋南 西友スーパー、ケンタッキーフライドチキン向かい)











                         







小野池は、30代の若さで二十八カ村の名主総代になった小野沢平左衛門信近が、
天保年間(1830〜1843)に、干害に昔から苦しんでいた渋川の農民にために発案して
ため池を掘り、灌漑用水として用いるようになったものです。



 小野沢平左衛門は、寛政三(1791)年に生まれた。

 小さい時から学問好きで、十代のころには江戸に出て学び、渋川にもどって塾を開いた。二十代で名主となってからは、村人の生活をよくするこ
とに心をくだいた。
 当時このあたりの宿場町ではばくちが盛んにおこなわれ、プロのばくち打ちも数多くいた。そして親分・子分の関係で結ばれ、農民や町民をばく
ちの客として金をもうけていた。農民や町民のなかには、ばくちで先祖代々の財産をすってしまう者も少なくなかったのである。

 平左衛門はこうした気風を心配し、ばくちをやめるように説いた。また、ばくちに手を出すのは大金を手にしてぜいたくをしたい気持ちがあるからだ
と考え、質素でまじめな生活をすすめた。そして、人にすすめるからにはまず自分からと、つとめて質素にくらすことを心がけた。かれはいつも、ふ
つうの農民とおなじ木綿の着物を着て、自分で作った竹皮のぞうりをはいて村の中を歩いた。だから、村人たちもしぜん、質素な身なりをするように
なった。
「うっかりしたものを着ると、道で行き会ってもどっちが名主さまかわからねえ」
 ということになるからである。
                                           『群馬県を築いた人びと』より
   


群馬県小・中学校教育研究会社会科部 編
『群馬県を築いた人びと』
旺文社 1986年9月発行  定価 本体1,500円+税
(出版社の在庫はありませんが、当店など県下一部書店でのみ入手可能です)


         





アジサイ寺の別名をもつ
真光寺




お寺の境内の建物の間にうもれたアジサイは、ひと際おもむきがあって美しい

     










真光寺 本堂
渋川市並木町 (渋川北小学校南)

真光寺は、かつて天台宗の関東普及の拠点であったばかりでなく
歴史に残る話もたくさんあるお寺なので、いづれページをつくりたいと思っています。



他に渋川市内アジサイ鑑賞スポットとして
渋川総合公園や渋川スカイランドパーク、
国道17号中村五差路付近などもあります。


食べてしまいたくなるような見事なアジサイ

アジサイの万葉歌屏風つき小鉢(試作品)





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