第一テーマ館 田舎で「美しく」暮らす
万葉集のなかでアジサイを歌った歌は、次の2首だけだそうです。
偶然でしょうが、あじさいの対照的な特徴をそれぞれあらわしています。
はじめの橘諸兄の歌は、
あじさいが幾重にも群がって咲くように変わりなく、いつまでもお健やかでいてください。
わたしはこの花を見るたびにああなたを思い出しましょう。
「八重咲くごとく八つ代にを」と、永続性を強調しています。
「八つ代」は「弥つ代」としている解釈もあります。
それに対して、大友家持の歌は
物言わぬ木でさえ、あじさいのように色鮮やかに見せてくれますね。
それ以上に言葉をあやつる諸弟たちの上手い言葉にすっかりだまされてしまったことですよ。
といった、あじさいの色鮮やかさを強調した歌です。
他に、あじさいのうつろいやすさを強調したような解釈もあります。
アジサイの語源と植生
アジサイの万葉歌2首の栞
渋川市のアジサイ公園周辺で、様々なとりくみをされている地元の方と話をしていたら、この2首をおり込んだ「しおり」
を思いついて、作ってみました。
まだ試作品ですが、裏には上記のアジサイの語源などを印刷したら面白いと思います。
恥かしながら、アジサイ公園のことをいろいろ話していながら、アジサイが渋川市の花であることを私は知りませんで
した。
そんなことならなおさら、と、皆さんと協力しながらもっと工夫していきたいと思います。
小野沢平左衛門は、寛政三(1791)年に生まれた。
小さい時から学問好きで、十代のころには江戸に出て学び、渋川にもどって塾を開いた。二十代で名主となってからは、村人の生活をよくするこ
とに心をくだいた。
当時このあたりの宿場町ではばくちが盛んにおこなわれ、プロのばくち打ちも数多くいた。そして親分・子分の関係で結ばれ、農民や町民をばく
ちの客として金をもうけていた。農民や町民のなかには、ばくちで先祖代々の財産をすってしまう者も少なくなかったのである。
平左衛門はこうした気風を心配し、ばくちをやめるように説いた。また、ばくちに手を出すのは大金を手にしてぜいたくをしたい気持ちがあるからだ
と考え、質素でまじめな生活をすすめた。そして、人にすすめるからにはまず自分からと、つとめて質素にくらすことを心がけた。かれはいつも、ふ つうの農民とおなじ木綿の着物を着て、自分で作った竹皮のぞうりをはいて村の中を歩いた。だから、村人たちもしぜん、質素な身なりをするように なった。
「うっかりしたものを着ると、道で行き会ってもどっちが名主さまかわからねえ」
ということになるからである。
『群馬県を築いた人びと』より
アジサイの万葉歌屏風つき小鉢(試作品)
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