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第四テーマ館 磔茂左衛門と沼田藩騒動
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歴史上、名の知れた魅力あふれる人物は、源義経、信長や秀吉、坂本龍馬や高杉晋作などをあげるまでもなく数限
りなくいますが、私は、真田幸村と信之、父昌幸に代表される真田一族を上位にあげずにはいられません。
それは、今の時代と自分のおかれた境遇が、なおさらそうした気持ちをもたせるのかもしれませんが、その第一の理
由が、圧倒的多数、優位の敵に少数の兵力で立ち向かい、奇襲的戦法(それも常に敵を圧倒する勢い)で勝利を収め る強さです。
真田家のおかれた歴史的立場が、武田、上杉、さらには織田、豊臣、徳川といった勢力の狭間で生き抜く小さな勢力
として要求される策略的戦法を必然的にもたらしたともいえますが、同じような境遇の武家は、戦国時代どこにもあった はずです。
どうして、真田家があらゆる戦で圧倒的強さを見せることができたのでしょうか。
ここで、諜報力、組織力などといった細かい分析をしていくと、やっぱり信長や家康の方がすごいなどという結論にな
ってしまいます。そういうことではありません。
大事なのは、「客観的分析」などをしたら、いつも不利といわれる条件なかでも、常に突破口を開いて撃破していく真
田幸村たちの真の「力」のことです。
だからといって、昌幸や幸村が客観的情勢分析を重くみていなかったとか、冷静な思考よりも戦略的な勢いで状況を
打開していったなどということは決してありません。むしろ、どの局面を見ても、どの戦国武将よりも冷静に情勢分析を おこなっていたと思います。
にもかかわらず、同時代のどの武将たちよりも、その分析に留まることなく、「実践的に事態を突破していく力」が、ず
ば抜けて長けていた。
それだけに、いつも昌幸や幸村の目には、関が原の戦いにしても、大阪の冬の陣、夏の陣にしても「勝てたもの
を・・・・」としかうつらず ひときわ西軍の武将らや豊臣家のはがゆさは我慢のならないものであったことと思います。で すが、ここからがもっとスゴイのですが、では勝ち目が無い豊臣方はあきらめ、自分の力を認めてくれている徳川の誘 いにのるかといったら、まったくその気は見せないばかりか、全く無い。
それを戦国武将の男の美学などといって勘違いしないでほしいのですが、安直に討ち死にして筋を通すなどというこ
とではなく、外から見たら圧倒的不利な条件下であっても、最期まで逆転勝利のチャンスがあることを信じて、あらゆる 手立てをこうじているのです。
この違いは、いったいなんなのでしょうか。
これは、同じ事実に対する見かたの深さ、もっと言えば「実践的な見かたの深さ」の違いなのではないかと私は思いま
す。
大阪冬の陣にも典型的にあらわれていますが、西にむかっている家康の情報が刻々と寄せられる間、豊臣方は議論
をつくし、幸村らの声も届かず、大阪城の堅牢さなどから篭城戦を決め込む。
ゆっくり西上してくる家康に対して、幸村は少数の手勢をつれて奇襲をかければ、確率は高くなくても形勢逆転のチャ
ンスは十分にあると読み、自分たちだけでも城から出て闘うことを主張するが、勝手なことはならぬと、止められてしま う。(ああ、まったくどこかの組織と同じ!)
ここでも、机上の議論をする人々は、たとえそれが自分でなくても、リスクをおかして低い確率に挑戦することをためら
う。「客観的に見れば」という言葉とともに。
それに対して、実戦経験をつんだ者は、確率は多少低くても、多少のリスクはあったとしても、また、そのリスクを自分
だけが負うものだとしても、そこにチャンスがあるとみれば、攻めてみる。いや、試しに攻めてみるといった方が正しい。
そのほうが、机上で資料の分析や他人の報告を聞いているよりも、敵陣深く入り込み、はるかに多くの真実を掴み取
ることができるからである。実際に、いつも幸村は、自分、もしくは信頼のできる部下にそうした行動を取らせ、しかも、 目的がはっきりしているだけに不要な損害を被ることなく引き際もみごとに引き返してくるのが常であった。
こうした経験の積み重ねを、幸村、昌幸父子は圧倒的多くにつんでいる。
もっといえば、そうした実践的に「試してみる」という経験の積み重ねのないまま、知識や情報を溜め込んで判断した
ところで、その知識は活かされることはまず無いばかりか、むしろ誤った結論を導く知識や情報になってしまう場合が多 いとさえ言える。
学校教育しかり、お役所や硬直化した企業しかり。
私自身、かつての職場で、まったく畑違いのパソコンスクールと飲食店の立ち上げをまかされたことがありましたが、
自分の経験の無い世界の仕事であっただけに必至で資料を集め、本を買い勉強しましたが、肝心な問題はそうした作 業では少しも見えてこないので、思うようにはかどらない仕事に、社長に怒られてばかりいたことがありました。
その時も、自分の責任領域と権限というものをよく理解していないと難しいのですが、十分な知識がなくても、どんどん
わかる範囲で作業を進め、買える材料や備品はどんどん購入してしまうことが大事でした。そうしないと、いくら調査や 勉強をしても次の問題は見えてこないのです。
多くの勉強や学問、調査や分析といった作業がこのような壁に陥っているといえる場合が多いとはいえないでしょう
か。
たとえば現実に、理論的に方法論がふたつに別れ、それぞれの成功の確率が五分五分、もしくは51% : 49%の
確率であった場合、どうするか。
問題の性質にもよりますが、理論にとらわれると、「結論はだせない」もしくは「半分半分に分けて行なう」、となってし
まいす。
しかし、幸村のような実践家や技術者や企業家であれば、そのように考えることは組織の力を分散してしまい、失敗
してもなんの教訓も生まない最悪の選択であると判断すると思います。
もしすぐれた実践家であれば、たとえ半分は間違っていたとしても、どちらか片方に賭けて、自分のすべての力をそこ
に集中してみる、ということをとります。
そうした決断と行動力があれば、確率の低い49%の方を選択したとしても、いや成功確立が仮に10%の方を選択し
たとしても、多くのエネルギーを投入している分、はるかに良い結果をもたらす可能性が高くなると考えます。
停滞期には、どうしてもリスクの分散の方にウエイトがおかれがちになりますが、自分が生きること、十分な成果をあ
げることを考えれば、どうしてもこのような「決め込み」「決断」による行動が限りなく重要であり、しばしばそれは、緻密 な理論に勝る成果をもたらすものです。
ひとつの「試してみる」という作業が、死活にかかわる問題になってしまうようでは、迂闊に試すことはできませんが、
死活に関わる問題になる前に、小さな「試してみる」「攻めてみる」という作業を、全力をあげてたくさん行なうことがとて も大事だと思います。
組織では「変えていいですか?」と聞くと、「ダメ」と言われがちですが、「試していいですか?」と聞くと、なかなかNOと
は言えないものです。
私のいる本の業界には、文化・教養主義的風潮がとても強いので、なかなかこうした言葉は届かないことが多いので
すが、読書の自己目的化はよくないのページでもふれましたが、ソファにゆったりと腰掛け、パイプなどをくゆらしながら 本を読んでいる「職業教養人」が日本の社会の現状を憂えるなどといった言葉をもらしているのを見ると、幸村がごとく 馬を駆って、椅子を蹴散らして駆け抜けてゆきたい衝動にかられます。
読書や情報分析、さらには民主的議論も大事ですが、
もっと真田幸村のよに
まず、「攻めてみよ!」
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真田幸村が、上田城で父昌幸とともに徳川方を迎え撃った戦いや、大阪城真田丸での攻防戦などから、篭城戦にたけた武将かの印象ももたれ
ていますが、決してそんなことはありません。勝つために手段を選ばない、勝つためにあらゆる手立てをうち、与えられた環境のなかであらゆる条 件を活用し尽くす戦略家と見たほうが正しいと思います。 ![]()
例えば、25mプールの水を栓を抜く以外の方法ですべて空っぽにしてください、と言われた場合、しかも目の前には小さなおちょこしかないとし
たら、どうしますか。
ここに、「無」から「有」を生み出すことのできる人間かどうかの分かれ目があります。
プールに張られたこの水をおちょこですくって出そうものなら、きっと膨大な、果てしない時間がかかるにちがいない。なんてバカげたことだと思う
でしょう。
しかし、ここなんです。
何もないところから「有」を生み出せる人間は、ここでおちょこを使って、まず水を汲み出しはじめるのです。
「え?こんなの汲み出せやしないよ」「もっといい方法を探してから」なんてことは言いません。そう言っている人の隣で、この小さな一歩を踏
み出してしまうのです。
(略)
しかし、不思議なことに、ここでおちょこでもって水を汲み出しはじめられた人間は、必死におちょこで汲み出しているうちに、少し先の手洗い場
に、プラスチックのコップを見つけるのです。
(略)
そして、コップを使って水を汲み上げている彼は、プールのフェンス越しに、今度は花壇の脇にバケツが転がっているのを発見するのです。(略)
次はポンプを見つけてくるかもしれません。
目標に向って、どんなに効率が悪く小さくても、まずその一歩を踏み出しはじけられる人間は、結果として恐ろしいほど効率のいいや
り方で目標を達成することになります。
(本書 40ページより)
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話はさらに広がりますが、戦や事業の成功事例を見るならば、常に理論的正しさや確立の高さだけがが、成功や勝
利の根拠でないことはよくわかります。
そこで大事な成功や勝利に至る道筋が、「運」以外にふたつの方法があることを知りました。
そのひとつは、京セラ創業者の稲盛和夫が強調していることです。
かつてベンチャーとして成功して勢いに乗っていた稲盛氏のところに、大手グループである日立から 昔、『おまえさん
はうちの仕事をしてなかなかうまくやっているようだから、うちのドクター連中に研究開発はどうあるべきか話してくれな いか』と日立から話があり、ドクターだけ2、300人集まる会に行ったときの面白い話があります。
そこでまず挨拶代わりに「ドクターを持っている皆さんに、田舎大学出で、しかもドクターを持っていない私が話をする
のもヘンチクリンなことですが、ドクターは博士ではなくてバカセではないですか」というようなことを言いました。
たんなる話の枕、ユーモアではない。稲盛は毒を含ませて話しはじめたのだ。
大企業の弱点をシュガーコートして言ってのけたのである。案の定、「成り上がり者の京セラの稲盛がなにを言うか。
日立をバカにするのもいい加減にしろ」と反発した者が少なからずいた。意地悪な質問が投げ返された。
その質問こそ、稲盛の挨拶が的を射ていることの証明となっていた。
「大変失礼な質問だが、京セラさんは研究開発したもので失敗したものがないと言うてるようですが、そんなバカなこと
はないでしょう。
日立はこれだけの技術陣を擁して研究しているが、10やったうち成功するのは2つか3つで、あとの七、八割は失敗
している。京セラさんが全部成功するなんて、我々の経験からは信じられません」
稲盛は待ってましたとばかり、さらりと言ってのけた。
「それは簡単なことです。成功するまでやめないんですから」
質問者は日立技術陣への侮辱と受け取ったのだろう。
「そんなバカな。あるところまでいったら、経済性とかなんとかを考えてやめるでしょう」
「いや、やめません」
他社ができないものをやるのが京セラ精神である。もっとも、このときは大企業ではなかったから、「失敗は許されな
い」というベンチャースピリットを訴えたのである。とはいっても、それはいかに会社が成長しようとも、失ってはいけない 「技術者の魂」なのである。 ![]()
ひとつの成功か失敗かの分かれ目はの多くは、理論的に対立した方法論の上にあるものではなく、ひとつの道をあ
きらめることなくどこまでつきつめるか、その気概と情熱にかかわるものであるということです。
失敗や敗北と思っていることの多くは、そのあきらめた半歩先に成功があることに気づかないのです。
もうひとつの成功にいたる道は、上記のような強い気概や意志がなくても、普通の人間がとる方法のことです。
それは、ヘタな鉄砲も数撃てば・・・ではありませんが、単純にチャレンジする回数を増やすということです。
なにか新しいことをやって「やったけどダメだった」という人ほど、1回か2回の挑戦だけで「絶対にできない」と結論を
下してしまうのです。
しかし、その隣りで成功している人というのは、1回、2回でダメだったからこそ、3回、4回目にとどまることなく10回、50
回、100回と手を変え品を変え挑戦を続けているのです。
机上の理論と実践的な成果の関係で大事なことなのですが、新しいことをやるのに100くらいの企画案を出して2つ
か3つ当たるというのは、決して低い確率ではなく、普通の数字であるということです。
こういう話をすると、よく100も案を出すなんて普通の人間には簡単に出来ることではないと、反論がかえってくるの
ですが、これも立ち止まって「考えている」人と歩きながら「考える」人との差です。
だれでもいきなり100もの企画案を出すのは簡単なことではありませんが、2つ3つの案を出すのはそう難しいことで
はないと思います。この2つ3つの案を「手」と「足」を動かしながら考えている人であれば、必ず、その先に4つ目5つ 目の改良案や代替案が見えてくるのです。そして見る見るうちに20、30の案が浮かび、その案を元にさらに「手」と 「足」を動かしながら考えていると、50、100の案が自然に浮かんでくるのです。
以上、成功にいたる二つの道についてふれましたが、このふたつは「量」と「質」の関係でもあり、実践的な成果をあ
げている人は、この両方を自然に追及していることがわかりますが、それをささえている大事な要素が「気概」「情熱」 「意志」といったメンタルな要素であることに気づきます。
このことは歴史をふり返っても、実際に歴史を動かしてきたのは、理論やイデオロギーなどよりも「気概」であると、フ
ランシス・フクヤマは言い切っています。 ![]()
F・フクヤマは、アメリカで高い評価をうけていながら日本でいまひとつ評価が上がらないひとのなので、別のページで詳しくふれることになると思
います。 ![]()
セブンイレブンの鈴木敏文会長も、こうしたことを鋭く指摘しています。
「何か新しい事業やビジネスを始めようとするとき、人はとかく、“勉強”から始めようとし、それが正しい方法であるかの
ように考えられています。その場合の勉強とはどのようなものかと突き詰めると、結局、過去の経験の積み重ねをなぞ る作業にすぎないことが多いのです。しかし、新しいことを始めるとき、最初に必要なのは仮説であり、仮説はそうした 勉強からはほとんど生まれることはありません。
われわれが常に心に銘じなければならないのは、前例のない新しいことを始めるときには、人の話を聞いても仕方が
ないということです」
人が勉強しようとするのは、勉強すれば答えが見つかると思うからだろう。しかし、鈴木氏の言葉を借りれば、最初から答えがわかって行うなら、
それは「作業」でしかない。あるいは、最初から挑戦を避けるため、勉強して「できない理由」を見つけようとする人間もいるかもしれない。誤解を恐 れずに言えば、こうした考え方をするのは、「知能指数的な優秀さ」を持ったタイプに多いのではないか。 ![]()
多くの人々が、理論に対するこうした「実践」や「仮説」に基づいた「実践」の重要性を指摘していますが、そのことの
理論的裏づけを次の本によって知ることができました。
それは、悪名高いヘッジファンドなどで知られるジョージ・ソロスの本です。
ソロスは、グローバル資本主義の最先端で莫大な富を得ている人ですが、同時にアメリカ議会で、このグローバル資
本主義がどのようなものか、どのような問題を持っているのか、最も的確に証言した人でもあります。(本題の前にこれは大 事な指摘なので以下に引用しておきます)
また、ソロスについては、多くのひとから誤解されたイメージももたれているので、この機会その実像をに知ってもらえればとも思います。
「見直しは、まず金融市場はもともと不安定なものであるという認識から出発しねければならない。グローバル資本主義システムは、金融市場は
それ自身の動きに任せていると自然に均衡に向っていくという信念にもとづいたものである。金融市場は振り子のように動くと思われている。すな わち、ときとして外部的要因、いわゆる外生的ショックによって混乱することもあろうが、やがて均衡点に復帰しようとする、というのだ。この信念は 間違っている。
金融市場というものはよく度を越すものであり、ブーム・バスト(暴騰・暴落)の繰り返しがある一点を越えてしまえば、もとの起点に復帰することは
決してないのである。金融市場は振り子のようにゆれ動くのではなく、最近では建物解体用の大鉄球のようにガンと一発大揺れし、国民経済をつ ぎつぎに突き倒すようになっている。」 ![]()
ソロスは自らのビジネスの方法論とともに、多くの現実の実務世界の核心を突いた理論として、三つの概念を提示し
ています。
それは、誤謬性(fallibity)、相互作用性(reflexivity)、開かれた社会(open society)の三つです。
ちょっと訳語のバランスがしっくりこないような気がしますが、実践的な現実把握の理論を、弁証法を駆使してもここま
で明解にすることはできなかったのではないでしょうか。
このページタイトルから表現すれば、「議論、分析がいかに完璧であったとしても」いざ、実践課程に入れば、様々な
誤謬性からまぬがれることは、まず不可能であり、同時に量子物理学の観点等からも、人間の意識的な作用があるか ぎり、その対称との間に新たな相互作用が生まれ、実践前の段階の理論上の完璧さは、決してあてになるものではな いということです。
これらのことを、ポパーは、プラトン、ヘーゲル、マルクス等が説いてきた「歴史主義」「歴史法則主義」を念頭に、決
定論的立場として執拗に批判し続けています。
「反」決定論、非決定論という観点からだけ見ると、科学的思考に反する主観主義の立場の擁護のようにも見えます
が、「実践」の「理論」に対する優位性という観点から見直すならば、極めて合理的対場の表明であるといえます。
ソロスの哲学上の師であるポパーからうけついだ、「開かれた社会」という概念は、様々な視点から評されており、私のような素人がとても口を挟
めるようなものではありません。
にもかかわらず、なにかにつけて目の前に現われてくるテーマなので気になって仕方がありませんでした。
(ポパーについての研究者のサイトは結構たくさんありますので、検索してみてください。)
何度も、ポパーの『開かれた社会とその敵』は、大事な文献なので読んでみなくては、と思うのですが、目次を見てはあきらめ、値段を見ては
あきらめ、その分量の膨大さをみてはあきらめ、を繰り返していました。
ところが、次に紹介する2冊が、私にも長い間立ちはだかっていた壁を乗り越えるチャンスを与えてくれました。
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科学上の諸理論は人間が考案したもの−世界を捉えるために設計された網−であると考えられる。たしかに、これらは、詩人が考案したものと
は異なるし、また、技術者が考案したものとも異なる。理論は道具にすぎないのではない。われわれは真理を捉えることを目指している。真でない ものが除去されることを期待して、理論をテストにかけるのである。それによって、首尾よく理論を改善できるかもしれない。−たとえ道具としてで も。そして、魚であるこの世界を捉えるのにより適した網を作り出せるかもしれない。けれども、理論は、この目的にとって完璧な道具には決してな らないだろう。理論は、われわれが作り出した合理的な網であり、したがって、実在の世界をあらゆる側面にわたって完璧に再現していると誤って 理解されてはならない。たとえ高度に成功しており、実在に接近しているように見えたとしても、やはり完璧ではないのである。 (本書 55ペー ジ)
ポパー 「科学的発見の論理」(上)(下) 大内義一・森博訳、恒星社厚生閣(1971)
ポパー 「歴史主義の貧困」 久野収・市井三郎訳、中央公論社 (1961)
ポパー 「開かれた社会とその敵」(全2巻) 小川原誠・内田詔夫訳 未来社(1980)
ポパー 「推測と反駁」 藤本隆志・石垣壽郎。森博訳 法政大学出版局 (1980)
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理論的には、ソロスとポパーの本によって、科学的決定論至上主義ともいえる唯物論的歴史観や絶対的観念論を反
駁する十分な根拠を得て、理論に対する実践の優位性を確証しえたかのように思えますが、理論や実践の問題は「仮 説」の力によってこそ、乗り越えることが出来るという鈴木敏文の経営哲学こそ、ポパーの非決定論よりも一歩先を行 っている哲学のようにも思えます。
さらに付け加えるならば、鈴木敏文の「仮説」の力を、船井総研の小山政彦社長は別な表現で、目標達成能力より
も、目標設定能力の方が大事であるという言い方をしています。
今の条件のなかで売上げを105%に伸ばす方法を考えるよりも、120%、あるいは200%の売上げを達成できる
条件を考える方が容易い、といっています。
エネルギーや大気汚染などの環境問題でも同じですが、先に達成しまなければならない目標をはっきり決めたうえ
で、そのために必要な条件や技術開発を追求するということです。
他方、実践至上主義に陥ってしまうことに対する注意については、かつてから理論と実践の関係について追求し続けてきたフランクフルト学派の
アドルノが「実践至上主義に抗して」との講義論文をだしています。
かつて「理論と実践との統一」なるもっともらしい言葉が、現実には思考の中断の言い訳けにしかすぎなかった歴史を鋭く分析しています。
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「人間は解決しうる課題のみを自分に課することができる」
と言ったのはヘーゲルだったか?
これらの考えはすべて、立ち止まって思考をめぐらせている限り、絶対に到達し得ない認識の世界のことを言ってい
るといえるのではないかと思います。
もう一度正確に言うならば
「議論、分析ばかりしていないで、大きな目標、仮説をたてて攻めてみよ」
ということになるでしょうか。
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たしか斉藤一人さんが言っていたことだと思いますが、「やる気のある」ヤツと「やる気のない」ヤツが議論したら、絶
対に「やる気のない」方が勝つといいます。
「やる気のない」方は、いったいどこでそんなこと覚えたんだと思うようなスジの通ったことを延々と言う。
「客観的にみれば」とか、
「確率で言えば」とか、
「状況を冷静に判断すれば」とか、
出来ない理由を朝まで並べ立てることができる。
それに対して、「やる気のある」側は、
「たとえ確率が低くても」
「状況が悪くても」と主張する立場にあり、
さらには「直感では絶対に自信がある」とまで言い出す始末だから
まろもな議論をしていたら、絶対に勝てるわけがない。
大阪城のなかでの真田幸村の立場も、まさにこのようななかにあったといえます。
まさにこのことこそ、さきにあげた「理論」と「実践」の関係、「仮説」と「実践」の関係の「理論的」問題よりも、もっと本
質に近いような気がします。
わたしのまわりにも、よく仕事の問題をあれが問題だ、これが問題だ、このことをいろいろと考えている、ずっと迷って
いるなどと、あのひとを捕まえては、このひとを捕まえては話しているひとがいますが、業界用語でいうところの
「と・っ・と・と・ヤ・レ・!」
という世界です。
でもこの関係はどうしたら解決することができるのでしょうか。
もしあなたがその組織のなかで、経営者であったりトップの地位にあるのであれば、強引に押し切ることも可能でしょ
うが、多くのひとの場合はそうはいきません。
わたしはこう思っています。
これは安易にひとにおすすめすることは出来ませんが、
そうした場合は、あとで怒られることを覚悟で、あるいは極端な場合クビになることも覚悟で、勝手にやってしまうこと
です。
無茶なはなしですが、これにはふたつの正当な理由があります。
ひとつは、さきにあげたように「客観的」とか「確率」とかを出された議論には勝つ道理がそもそもないということがある
からです。
もうひとつは、道理のかなわない側がそれを通して、しかも結果を出すには、相当な覚悟がなければそもそも成功で
きないからです。
自分自身が無理を通してでもやりとげる覚悟をきめなければ、たとえそれが正しい考えであっても、最終的に十分な
結果や成果をあげることはできないものだと思います。
そんなことをしたら・・・、
でも現実には・・・・、
という言葉がすぐかえってくるのが目に浮かびます。
しかし、あえて「責任を果たす」というのは、そもそもそういうものなのではないでしょうか。
クビをかける、などと威勢のいいことを言っても、長い人生で「クビをかける」ほとの価値のある場面にでくわすことな
どそう度々あるものではありません。
自分がそれほどの価値を感じるようなことに出会ったら、それはむしろうれしいことではないでしょうか。
そこまでつきつめて考えることが出来れば、大抵の場合は、その前に、
ささいな解決策がみえてきてしまうものです。
そもそも、自分がひとつの判断なり決断をくだすことといのは、その先に自分で行動することを想定していれば、頭で
考えただけでできることではなく、「腹」で決めることなのです。
こうした意味からも「議論、分析ばかりしていないで攻めてみよ」と言いたい。
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毎度のことながら、真田幸村のことから随分話が広がってしまいました。
源義経なども似たようなタイプのヒーローですが、現代人はもっと、データ、情報、知識ばかりに頼ることなく、こうした
「情熱」、「気概」、「知恵」、「仮説」、「大胆な目標」の類にエネルギーを向けなければならないのではないでしょうか。
真田信幸・幸村の兄弟が、徳川方と豊臣方に分かれた最後の闘いを前に、家康の信望もある才女、小松のはからいで密かに会うことになる。
その時・・・
「左衛門佐。たとえ大御所の御首(みしるし)をとったところで、徳川の屋台は崩れはせぬ。 よいな・・・・・」
「崩れるものか崩れぬものか・・・・・そこに私は、もう一度、夢を見とうござる」
幸村の眼に、燐(りん)のような光が煌(きら)めいた。
池波正太郎「信濃大名記」『真田騒動』新潮文庫(1984/09)より
真田一族というと、信州上田や松代などののイメージの方が強いようですが、そんな魅力あふれる真田幸村が若かり
し日々、信之や父昌幸と、岩櫃城で戦略や実践での闘いかたについて語り合っていたなどと思うとワクワクしてきませ んか。
真田幸村に関する本はいろいろ出ていますが、どの本が良いかはまだ調査中です。
池波正太郎の『真田太平記』新潮文庫(全12巻)に匹敵する作品は、なかなかみつかりません。
どうも人気の高い武将のわりには、決定的な1冊がまだないような気がします。
井上靖の『真田軍記』角川文庫が、短編としてはとても優れています。
司馬遼太郎の『軍師二人』講談社文庫など多くの作家が書いていますが、これぞという作品があったら教えてくださ
い。 ![]() ![]()
メールアドレス hosinoue@hotmail.com
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